万葉びとの生活
此語は、私が言ひ出して、既に十五年になる。けれども一度も、行き徹つた論を発表しないで来た。私は今は、其輪廓だけでも書き留めておきたい。私の言ふ万葉人なる語は、万葉の中心となつてゐる時代即、飛鳥末から藤原・奈良初期、其から奈良盛時、此に次ぐに奈良末の平安生活の予覚の動いて居る時代の、宮廷並びに世間の内生活の推移と伝統・展開とをこめて言ふのである。純粋の感情表現物の記録と言へない事は固よりだが、内生活の記念とも見るべき歌謡から、生活の諸相を抽象しようとするのである。
君と、女君と、大身《オミ》と、民人との生活が、どう言ふぐあひに歌に張りついて[#「張りついて」に傍点]――と言ふのが最適当だ――残つたかを見たいと思ふ。
君 皇子尊
記・紀に現れた君は、神自体である時期は、常にくり返され、其が、長くもあつた。万葉においては、既に「神の生活」から次第に遠ざかつて居られる。而も、至上神或は其子として、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]と言ふ讃へ詞は用ゐられてゐる。又「神《カム》ながら」と言ふ語も、此時期の初めに著しくなつて来る。だから、直に内容は譬喩表現に近づい
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