ものには、黒人系統の心境が見える。而も平凡な生活から普遍の寂しさに思ひ到つてゐたらしい処は、近代文学に似てゐる。
一〇 万葉学に一等資料のないこと
こゝまで、私の議論について来て頂いた方々に、私は、かう言ふ信頼を感じて、多分さしつかへがないであらう。私は、何も珍しいことを言ひたがつてゐるのではない。唯平安中期の初めにすでに、万葉の各方面の本旨が誤解せられて居た。或は正しく伝へられて居たにしても、平安末期以後の歌学者の曲解が加つて、長く純粋な元の意義が隠れて了うた事を信じてゐるが故に、従来の、源・藤二流の六条家の直観説を、整頓調節するだけでは、満足出来なかつた事が訣つて貰へる事と考へる。
言はゞ、此集に関しては、真の一等資料と言ふべきものが欠けてゐる。古今序の外は、何れも/\単なる学統の権威を保つ為の衒《てら》ひに過ぎないものであつた。かうした非学術的な後世歌学者の準拠を、我々の準拠とすることは、到底出来ない事なのである。かうした場合、万葉の研究は万葉自身を解剖するか、万葉前後の文壇或は世間の伝承を参酌しての研究が、或は今までの窮塞を通ずる事になるであらう。かうして、私は王
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