歌・相聞歌は、自然を人生の一部として変造を加へ、特殊な生活態度を空想する事を、文学態度とする様になつた。彼の態度は正しくないが、ともかく創作意識は、茲まで上つて来た。
大伴旅人は享楽的な分子を交へ、山上憶良は、功利的な目的を露はに出してゐるが、ともかくも、文学として歌を扱うてゐる。高橋虫麻呂などの学者も、さうした態度は明らかになつて来てゐる。けれども、みな長歌には、情熱を持続する事が出来ないでゐる。長歌が文学的燃焼を致さない時代になつてゐたのである。旅人は、外見には、虫麻呂よりも徹底して、漢風をとりこんだ。が、創作動機から見れば、純粋な抒情詩人である。叙事脈の表現は、此人になると跡を絶つて居る。学者らしい臭みは少しもなく、誇張のない情熱の文学として初めて見るべきものである。
其子の家持になると、文学によつて、人間の孤独性を知りかけてゐる。彼の作品には、宮廷詞風の方便として作られたものと、純文学作品とがある。後の者では文学其物よりも、文学のよい感化を見せてゐる。彼の歌で山柿《サンシ》の風を学んだらしい長詩は、如何にも擬古文らしい屈托がある。相聞往来の歌も、特色がない。彼一己の身辺を陳べた
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