しく加つたものなどがあつて、神事よりも、宮廷の儀式の際に用ゐられる様になつた。
だから、第三期の大歌は、形は旧大歌をついで居ても、内容は、非常に偏して了うてゐる。中には踏歌の淵酔の曲に近いものさへ出来た。第二期の大歌の中、荘重なものは、多分挽歌としての用途を最後として、消え去つたであらう。雅楽の勢力が増して、大歌の領分は狭められて了うたのである。しかも、奈良の盛期に於て、その徴候は既に顕れて居る。大歌類の中、奈良朝末までくり返されたのは、奏寿の賀歌としての短歌である。第三期の大歌の直会《なほらひ》用に固定する原因は、早く茲にあつた。
九 創作態度
創作態度が、宮廷詞人の代作物をこしらへる間に発生するものなる事は、既に納得のいつた事と思ふ。さうして此を整へたのは、漢文学素養だと言うた。万葉集の文学的態度は、宴遊歌及び其拡張なる室寿《ムロホギ》・覊旅の歌にはじまると言うてよい。叙事分子の多い抒情詩から、客観態度を見出すまでには、矚目風物を譬喩化する古くからの発想癖を脱却せねばならなかつた。譬喩する替りに、象徴に近づける努力も積まれた。人間以外に自然界の、詠歎の対象とし認めた事
前へ
次へ
全67ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング