られる。何にしても、此巻は、漢文学嗜きな北家藤原氏から出た材料とも言はれる程、大伴家出の物や他の巻々とは面目を異にしてゐる。古代の人の外は、漢文学に造詣ある人々の作物を手記したものらしく思はれる。とにかく、人麻呂以後の宮廷詞人には学者階級の代作歌人めいた人々の歌に、交友の人の作などを、記録したものである様だ。
高橋虫麻呂は、漢学・漢文学に達した学者であつたらしく思はれる人である。巻十六の竹取翁歌の如きは、明らかに、学者の作だといふ事がわかる。虫麻呂の物語歌なども、此人の一方学者であることを示す。私は今、宮廷詞人の発生を説かうと思ふ。先に述べた野中[#(ノ)]川原[#(ノ)]史満の、中大兄太子の愛妃を悼む歌を献つたとあるのは、皇太子の為の代作であらう。
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山川に鴛鴦二つ居て たぐひよく たぐへる妹を 誰か率往《ヰニ》けむ(孝徳紀)
幹毎《モトゴト》に花は咲けども、何とかも 愛《ウツク》し妹がまた咲き出来《デコ》ぬ(孝徳紀)
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帰化人の後の漢文学修養から、此だけ新鮮な作物が出来たのだ。
秦大蔵[#(ノ)]造万里も、帰化人の後である。斉明天皇が、
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