彼をして、孫王を悼む御製を永遠に伝へさせようとせられたと言ふのも、実は、歌を代作せしめて、永く謡へと命ぜられたのであらう。国文脈の伝承古詞模作は、飛鳥朝の末に飛躍した。而もそれは、内部からばかりでは、展開出来なかつた。宣命・祝詞・寿詞の類は勿論、歌詞に到るまでも、新しい表現法を開くには、漢文学の素養深い学者の力を借りて居た。彼等は漢文の文書を草すると共に、国文脈の文章・歌を作つた。彼等の中には新しく帰化した者も居た。其子孫は固より、学者・学僧等が、此為事に当つた。其最初に役所の形をとつたのは、撰善言司であつた。持統天皇三年の事である。文武の代に律令を撰定したのも、此司の人々であつた。律令の外にも、宣命・寿詞《ヨゴト》の新作は、此よごとつくりのつかさ[#「よごとつくりのつかさ」に傍線]の為事であつたらしい。其後、奈良朝になつて、宣命の続々と発せられたのも、この司設立以来の事らしい。此等は皆、古伝承の呪詞の類型をなぞりながら、新しい表現法を拓いて行つたのであつた。国・漢両様の文章を書くのが、万葉時代の文人であつた。懐風藻と万葉集と、共通の作者の多いのも不思議ではない。此等の学者は亦、晋唐小
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