内に、短歌の胚胎せられてゐる間に、旋頭歌はまづ一つの詩形として認められてゐた。
一体、片哥は、何かの事情で一つ伝つて居るものもあるが、此は正しくないので、必組み唄として二首以上、――問答唱和を忘れたものは――連吟せられたのである。さうしたものゝ中には、片哥も短歌に近いものも、入りまじつてゐた。其で、片哥から短歌の分離する以前には、短歌も組み唄の形で、数首続けて謡はれた。記・紀の大歌に、短歌一首独立したものゝあるのは、此も亦、伝来や記録が完全でなかつたのだ。
短歌も相聞の詞として、一首づゝ対立し、又は数首組んで唱和せられた間に、特に記憶の価値あるものがとり放して口ずさまれる様になつた。さうして一首孤立した短歌も、謡はれ作られする様になつたのである。うたへ[#「うたへ」に傍線]の時の歌は、長曲や、片哥もあつたが、次第に、短歌に近づいて来た様である。殊に万葉集に見られる事実は、男女のちぎり[#「ちぎり」に傍線]の場合に、此形が最多く用ゐられた事である。
男女の初めてのちぎり[#「ちぎり」に傍線]にも、又其後も、神の意思をうたへ[#「うたへ」に傍線]の方式で申して神慮を問ふ。此時は、答へは歌に
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