を作る人はなくなつた。短歌が、此種々の形を、整理して行つた。一方、短歌から、民謡《コウタ》の形もあらはれた。万葉集の東歌は、代表的のものであるが、是も、民謡の形をとつてゐる。
奈良朝には、短歌の形が主となつたので、新作の大歌には、是非附かねばならぬものとなつた。此が「反歌《ハンカ》」である。歌垣の歌は、性欲的のものであるが、世が進むと醇化して、段々と恋愛詩に変つて来る。併しながら、短歌になつては、性欲詩と、恋愛詩の境目をなして居る。
最初の日本の恋愛詩は、純然たるものではなかつた。古い歌は、事実、性欲詩である。歌垣の場《ニハ》で、相手を凌駕しようとする、誇張した性欲に根ざしたものであつた。此が性欲詩より、恋愛詩へ歩む途中に出来た、祭りの場合の即興詩である。処が、此歌垣の詩を作つて居る中に、段々、優れた人が出来て来る。即興的詩才のある人が、詩人としての自覚を発し、世に認められて、其人の歌が世に遺る。結果より見ると、古人の作つた歌が、一種の芸術的に作つたものと思はれるのもあるが、やはり、応用的のものである。其中に醇化されて、ほんとうに、恋愛詩が生れて来る。
純抒情詩には、も一つの流れがある
前へ
次へ
全24ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング