け合ひ」に傍線]を始める。神と人間との問答が、神の意義を失つて、春の祭りに、五穀を孕ませる為の祭りをする。其は、神と村の処女と結婚すれば、田畑の作物がよく実のると思つたからである。
神々の問答が、神と処女と、そして村の男と女とのかけ合ひになつた。即両方に男と女とが分れて、片歌で問答する。何れ、男女の問答であるから、自然と性欲的な問答になつて来る。其が、相手の歌を凌駕すると賞讃せられ、又、女が男をやりこめると、其女がもてはやされた。で、此歌垣の場《ニハ》の問答が、才能頓智を主とする様になつて来た。此が、段々と変つて来て、こゝに短歌の形が分れて来る。
短歌が固定したのは、藤原の都の時代、即、人麻呂の頃である。短歌をして明らかに人々に意識させる様になつたのは、人麻呂の功績である。
短歌の現れた原因は、もう一つ大歌にある。其は、歌を作る宮廷詩人と、田舎の即興詩人とが、別々である、と言ふ時代ではない。皆一つの所から、生れて来るものである。長歌の結末が離れて来る。即、五七五七七が独立して、此方面で発達した歌は、謡ふ形として、非常に、もて囃された時代であつた。此時代になると、ほんとうに、長歌・旋頭歌
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