た。愛も欲も、猾智も残虐も、其後に働く大きな力の儘《まま》即《すなはち》「かむながら……」と言ふ一語に籠つて了ふのであつた。倭成す人の行ひは、美醜善悪をのり越えて、優れたまこと[#「まこと」に傍線]ゝして、万葉人の心に印象せられた。おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]以来の数多の倭成した人々は、彼らには既に、偶像としてのみ、其心に強く働きかけた。
我々の最初の母いざなみ[#「いざなみ」に傍線]の行つたよみの国[#「よみの国」に傍線]は、死者の為の唯一つの来世であつた。而《しか》も其いざなみ[#「いざなみ」に傍線]すら、いつか、大空のひのわかみこ[#「ひのわかみこ」に傍線]に遷されて居る。此は、万葉人の生活が始まる頃には、もう兆して居た考へである。人麻呂は、倭成す人[#「倭成す人」に傍線]の死後に、高天[#(ノ)]原の生活の続く事を考へて居る。而も其子孫に言ひ及して居ない処から見れば、一般の万葉人の為には、やはり常闇《トコヤミ》の「妣《はは》の国」が、横たはつて居るばかりだつたものであらう。理想の境涯、偶像となつた生活は、人よりも神に、神に近い「顕《アキ》つ神《カミ》」と言ふ譬喩表現
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