は、此時代である。みち[#「みち」に傍線]・ひな[#「ひな」に傍線](山本信哉氏などは、あがた[#「あがた」に傍線]をも、同類に考へてゐる)と言ふ語《ことば》は、元はよそ国[#「よそ国」に傍線]・他国《ヒトクニ》位の積りが、遠隔の地方を斥《さ》す様になつたとも考へられる。あきつしま[#「あきつしま」に傍線]・しきしま[#「しきしま」に傍線]・やまとしま[#「やまとしま」に傍線]は、水中の島から出た語尾でなく、却つて村の意味の分化したものと見るがよからう。三つながら、枕詞或は、直様日本の異名として感じられる様になつて来た。それは、大和朝廷の、時々の根拠地になつてゐた村名に過ぎないのである。大和の北と真中の平原にあつた村々を支配するまでに、づぬけて勢力を持つて来たのが、山辺郡|大倭《ヤマト》を土台にした村だつたのである。
泊瀬の国・吉野の国などは、万葉にも平気に使はれてゐる。しま[#「しま」に傍線]ともくに[#「くに」に傍線]とも言ふ村が、大和一国にも、古ければ古い程多かつた。大和以外で言うても、国の名を言ふ村の数が、後世の国の幾層倍あつたか知れない。しま[#「しま」に傍線]は、くに[#「
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