いふ語の原義は、ほゞ辿られる様である。
○へそくり[#「へそくり」に傍線]・しがいせん[#「しがいせん」に傍線] 雑誌郷土研究時代では、随分へそくり[#「へそくり」に傍線]・しがいせん[#「しがいせん」に傍線]などが、問題になつた。わたしは、へそくり[#「へそくり」に傍線]は綜麻繰《ヘソク》りで、家族の私有の利得は、其辺から得たものと信じてゐるので、しがいせん[#「しがいせん」に傍線]も、しんがい[#「しんがい」に傍線]・しがい[#「しがい」に傍線]など言ふ、糸鞋を作つて、めい/\の小遣ひ銭を作つた為と考へる。まつぼり[#「まつぼり」に傍線]なども、かういふ方面から、探りを入れて行くべきだらうと思ふ。
○がしん[#「がしん」に傍線] 岡山辺では、飢饉年をがしん[#「がしん」に傍線]と言ひ、京阪ではいくぢなし[#「いくぢなし」に傍線]をがしん[#「がしん」に傍線]といふ。私の様に弱かつた子供は「がしんやな」「がしんたれ」など言ふ語で、批評せられ通しであつた。処が、狂言記に二个処ほど(一个処は餌さし十王)がしん[#「がしん」に傍線]を見た。其用語例は、岡山の凶年とまでは行かずとも、不景気の意であつた。さうすると餓死など言ふ宛て字が、相当の値うちを持つて来る様に思はれる。
○てんごお[#「てんごお」に傍線]・てんご[#「てんご」に傍線]・てご[#「てご」に傍線] 浄瑠璃に屡《しばしば》見るてんごお[#「てんごお」に傍線]と言ふ語は、今も京阪に生きてゐる。多くの場合、てんご[#「てんご」に傍線]・てご[#「てご」に傍線]など短くつめられるを常とする。戯れ・いたづら、まじめな態度を欠いた総ての動作を表す語である。転業・手業など言ふ節用集流の宛て字は、おもしろくない。同じ系統の語らしいものに、口ごはい[#「口ごはい」に傍線]と言ふ語がある。思ふ存分人にあらがひ、罵倒することであるが、てんごお[#「てんごお」に傍線]ほどには、書物の上に残されずに、もう亡びかゝつてゐる。此語は、馬などにも言ふ口強《クチゴハ》と言ふ語の、謂はゞ、連体法のくちごはい[#「くちごはい」に傍線]が、くちごはい[#「くちごはい」に傍線]事など言ふ接続を忘れて、な[#「な」に傍線](<なる)を落す上方修飾語の常習と誤認して、名詞と思うたのである。「親に向うて口ごおはい。罰があたるぞ」或は「口ごおはいな[#「な
前へ 次へ
全10ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング