む人々の残つてゐる今の間に蒐めておきたい。
○もろに[#「もろに」に傍線] 東京でも、今は諸国の人々の寄り合ひになつて了うた為、大抵の国々の語の包括を遂げた様に見える。其でも、下町の年よりの早口の会話を聞くと、かなり意の通ぜぬ語に出くはす。今の間に、小説家などが、もつと書きとめて置いてくれゝばと思ふ。もろに[#「もろに」に傍線]など言ふ副詞は、実の処、私にはまだ、的確に意義が掴まれぬ。初めは「両《モロ》に」で、両手でさしあげたりする意の、相撲とりの仲間からとり入られたものと考へて、其まはし[#「まはし」に傍線]を両手《モロテ》でひいて、軽々とさしあげる意から、軽々と・たやすくなど言ふ意が、胚胎せられて来たものと思うた。
処が、事実はすつかり違ふ様である。もろに[#「もろに」に傍線]は「脆く」と一つで、上方のぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]・ぼろい[#「ぼろい」に傍線]など言ふ語と密接な関係があつたのである。其について思ひ起すのは、友人永瀬七三郎君が、北河内|三《サン》个|江《エ》の口《クチ》(野崎の近辺)に住んだ頃、こもろい[#「こもろい」に傍線]と言ふ形容詞をよく耳にした。だから、大阪のぼろい[#「ぼろい」に傍線]はこもろい[#「こもろい」に傍線]と一つで、脆いと言ふ語が語原であらう、と言うてゐたことである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]と言ふのは「手もなくうまい事をした」場合などに言ふ語で、過大な好結果を示すのである。言ひ換へれば、さのみの苦労をせずに、思ひがけぬ利益を得ることをいふ。今日の言語情調からすれば、ぼる[#「ぼる」に傍線](貪)と言ふ語と親類らしく感ぜられるのであるが、事実は、やはり別であらう。
其は、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]と言ふ語が、同時に行はれてゐるのを、参考して見ても知れる。ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は「苦労なくはかどる」或は「努力せずして思ひの外に速かに願ふ結果を獲る」意である。当方でなく、対象が脆く自分の思ふまゝになる、と言ふのが本義なので、貪《ボ》るが語原とすれば、ぼろい[#「ぼろい」に傍線]の意は訣つても、ぼろくそ[#「ぼろくそ」に傍線]は解釈がつかぬのである。ぼろい[#「ぼろい」に傍線]――こもろい[#「こもろい」に傍線]――もろに[#「もろに」に傍線]と並べて見れば、今も東京に行はれてゐるもろに[#「もろに」に傍線]と
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