江戸語では副詞の語根を強くする為に、三音・四音になるのを避けようとしてゐる傾きが見える。「右の腕がぶら[#「ぶら」に傍線]になつた」「ぽか[#「ぽか」に傍線]とぶつ」「仰(あお)に倒れた」など言ふ類で、もろに[#「もろに」に傍線]が、脆くも[#「脆くも」に傍線]に、一縷の関係を繋いでゐるのである。
○女の家 節供《セツク》は和漢土俗習合して出来たものと考へる。そして季節の替り目を恐れる風、及び祭り・物忌みに、男は皆宮社に籠り、女ばかりが家にゐて謹んで籠つたことがあるであらう。此は古いことだが、万葉集巻十四に、
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誰ぞ。此家の戸《ト》押《オソ》ぶる。新嘗《ニフナミ》に我が夫《セ》をやりて、斎《イハ》ふ此戸を
鳰鳥《ニホドリ》の葛飾早稲《カツシカワセ》を新嘗《ニヘ》すとも、その愛《カナ》しきを、外に立てめやも
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とある。近世まで、かういふ風に男女別居して、物忌みする風は、必、あつたであらう。西[#(ノ)]宮の居籠《ヰゴモ》りなども、宮籠りに対した語で、祭りに宮に籠つた風のなごりを逆に見せてゐるのである。それで恐ろしい季節の替り目を別つ節供の日に、男が宮籠り、女の居籠ることがあつたので、五月五日を女の家(女殺油地獄)と言ふ様な――男だけの祭り故――諺もあつたであらう。尤、近松の頃には、此語の意味は訣らなかつたであらう。
○おとごぜ[#「おとごぜ」に傍線] 伝教大師・性空上人・皇慶律師などに使はれた、乙護法《オトゴホフ》といふ護法童子は、恐らく別々の者でなく、術者の手に転々して役せられて居た者、と考へられたであらう。さすれば、頗長命な役霊(すぴりつと[#「すぴりつと」に傍線])である。此護法の名が、民間に遍満して、一種滑稽な顔をした、ぱつく[#「ぱつく」に傍線]風の小魔と考へられ、乙護々々と略称されたのが、乙御と言ふ風の民間語原説から、乙御前《オトゴゼ》と還元する様になつて、一種の妖怪と考へる事になつたのであらう。
○髪形と子ども 子どもを、髪の形で類別すること、古代・近代一列である。うなゐ[#「うなゐ」に傍線]・めざし[#「めざし」に傍線]・をはなり[#「をはなり」に傍線]・ひさごばな[#「ひさごばな」に傍線]・かぶろ[#「かぶろ」に傍線]は、あまりに古い名である。わらは[#「わらは」に傍線]なども、とり上げずに、乱れたい儘に
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