だつてくれる様である。さすれば、十二旒の阿礼幡を元は、一本の竿頭から長く垂れたあまたの染め木綿《ユフ》が、十二本の柄の尖《サキ》に別れる様になつたと考へるのは順当な想像であらう。
花時には花を以て祭り、鼓吹《コスヰ》・幡旗《ハンキ》を用《モ》つて歌舞《カブ》して祭る(紀一書)とある花《ハナ》の窟《イハヤ》の祭りは、記録のぺいぢ[#「ぺいぢ」に傍線]の順序を、其儘時間の順序と見る事が出来れば幡旗と言ふ語の、見えた初めである。此花と幡とは、縄で以て作つた(熊野三巻書)との古伝がある。縄で蓆旗をこしらへたとも見えぬ文面であるから、やはり竿頭から幾筋もの縄を垂れた物と見る外は無い。上代から然りと信ずる事は出来ぬにしても、尚江戸よりは古くの為来《シキタ》りと考へられる。
われ/\は、疑ひ深い科学者と肩を並べて生きて居るのだから、布よりも縄のゆふしで[#「ゆふしで」に傍線]を、無条件に古い物と速断する事はためらふが、竿頭から縄或は木綿を長く垂れた物をはた[#「はた」に傍線]と言うてゐた事は、認めない訣には行かぬ。われ/\の国語が、不変の内容を持つたまゝで、無窮の祖先から罔極の子孫に語り伝へられるも
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