のと考へるのは、やまとたける[#「やまとたける」に傍線]や義経も、石の槨《カラト》の口さへあければ、現代人と直ちに対話をまじへる事が出来ると信じる事である。
記・紀の叙述と、其に書記せられなかつた以前の語部の素《ス》の物語の語りはじめとでは、其昔と言ひ、今と言ふにも、非常な隔たりがある。記・紀に「ある」と書いてゐる事は、既に幾十百年以前に「ない」ときまつた事であるかも知れぬ。わりあひに変動の尠かるべきはずだからと言ふので、名詞の内容を千年・二千年に亘つて変らぬと考へる人は、通弁《ヲサ》なしに古塚に出かけて、祖先と応対が出来る訣である。
物に驚くこと、猶今日の我々の如くであつた祖先は、明治・大正の子孫が日傘・あげものと言はずに直ちに、ぱらそる[#「ぱらそる」に傍線]・ふらい[#「ふらい」に傍線]と言ふ様な、智慧ある無雑作は持ち合せなかつた。物と物とを比べて、似よりの点を見つけては、舶来の四角な字に国語の訓みをつけて置いた。其中に四角な文字其儘の事物が渡つて勢力を得る様になれば、国語の軒端を貸した固有の事物は、どん/″\と取りかへられて、母屋には何時の間にか、殆ど見知りのなかつた新しい事物
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