て居る事と思ふが、ほこ[#「ほこ」に傍線](郷土研究三の八・四の九)なる棒の先に、其名の本たるはた[#「はた」に傍線]と言ふ、染め木綿の類が垂《サガ》つて居たのである。後期王朝の初めには、幡其物に直ちに、神格を認める様になつて居る。別雷[#(ノ)]神の纛《オホハタ》の神(令集解)と言ふ、山城紀伊郡|真幡寸《マハタキ》神社などが、此である。而も、やはり「纛」の字面に拘泥してはならぬ。此神こそは、賀茂のはた[#「はた」に傍線]なるみあれ[#「みあれ」に傍線]を祀つたものと言ふべきであらう。
何処の国でも、大将軍は必、神を招《ヲ》ぎよせ、其心を問ふ事の出来た人であらう。倭建[#(ノ)]命東征の際に、父帝から下された柊の八尋矛(記)や、神功皇后の新羅王の門に、杖《つ》ける矛を樹てゝ来られた(紀)といふのも、刄物のついた槍の類ではなく、神祭りの幡桙であつた事は、奈良の都になつて、神祭りに関係ありさうな杠谷樹《ヒヽラギ》の八尋桙根が、累りに諸国から貢進せられてゐる(続紀)のを見ても、想像する事は出来ようと思ふ。尚、杉桙別《スギホコワケ》[#(ノ)]命神社・多祁富許都久和気《タケホコツクワケ》[#(
前へ 次へ
全24ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング