べきものである。奈良の寺々に樹て並べた外国風の幢幡は、見も知らぬ飛鳥・藤原の宮人の口などから、生れたものと思はれる。白和栲・青和栲と対照せられるのから見ても、青幡の青和栲であつた事は、断言してさしつかへがなからう。而も、其ふつさりと竿頭から垂れた様を、山に見立てたものと思はれる。
黒坂命葬送の様は、赤幡・青幡入り交つて、雲虹の様に飜つて、野や路を照したので時の人、幡垂《ハタシデ》の国と言うたのを、後人が、信太《シダ》の国と言ふ様になつた(常陸風土記逸文)とある。死人の魂の発散を防ぐ為、ある時期の間は、殯《モガリ》に、野送りに、墓の上に、常べつたり[#「常べつたり」に傍点]の招魂の道具として、くさ/″\の染め木綿の幡を立てたのである。
此幡が、今様の旗でないことは、信太《シダ》の国の地名譚のしで[#「しで」に傍線]と云ふ語から見ても知れる。神の純化が遂げられてゐなかつた頃の人々は、目に見えぬ力として、現《ウツ》し世《ヨ》の姿を消した人の霊をも、神と一列に幡もて、招《ヲ》ぎよすべきものと信じたのである。
以上によつて、私の考へるはた[#「はた」に傍線]なる物の形は、略諸君の胸に、具象せられ
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