ふと言ふ、古い信仰形式の片われである。
思ふに、恐らく、語部の物語創作の際には、まだ明らかに、降服形式と迄は考へて居なかつたであらう。此白幡も疑ひなく、幣束の部に入るべき用途と形式とを、具へて居た物と考へる。神|招《ヲ》ぎ代《シロ》の幣束なる幣が、神の依り現《タヽ》す場《ニハ》の標《シルシ》となり、次いでは、人或は神自身が、神占有の物と定めた標《シメ》ともなり、又更に、神の象徴とさへ考へられる様になつたのである。私の話の順序から言へば、とりわけて白幡を用ゐずとも、よさ相に思はれる。けれども片方、故らに染《シ》め木綿《ユフ》でない事を示したのは、白和栲《シロニギテ》が、幣束として普通の物でなく、特殊の場合に限つて使うた物であつた故かも知れぬ。
白幡と似た青幡《アヲハタ》と言ふ物がある。あをはた[#「あをはた」に傍線]の木幡・あをはた[#「あをはた」に傍線]の忍阪《オサカ》の山・あをはた[#「あをはた」に傍線]の葛城山(万葉)など、枕詞に用ゐたのが、其である。何れも、山に関係のある処から旗の靡く様を山に準へたもの、と考へてゐる様である。枕詞成立の時代から言へば、此詞などは、中期に入れて然る
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