の個人展覧会で、右のはたっく[#「はたっく」に傍線]の実物を見る事が出来た。柄はすべて一本の矢で、矢弭の処に、小さな銅鏡をつけ、五色の帛が幣束を思はせる具合に括りつけてあつた。東歌の
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山鳥の尾ろの秀尾《ハツヲ》に 羅摩《カヾミ》かけ、捉《トナ》ふべみこそ、汝によそりけめ(万葉巻十四)
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と言ふ歌は、依然として、謎の様に辿られるのみであるが、根本には、山鳥の秀尾《ハツヲ》を矧いだ矢に、鏡をかけたと言ふ幣束が、古い日本にも行はれて居た事実を、潜めて居る様な気がしてならぬ。
賀茂祭りや、射礼のあれ[#「あれ」に傍線]に、染《シ》め木綿《ユフ》をつかうたのも、右のはたっく[#「はたっく」に傍線]と似よつてゐる。白和栲《シロニギテ》・青和栲《アヲニギテ》の物さびしい色を神々しい物として、五色のしで[#「しで」に傍線]を遥か後れて世に出た物と思ふのは、却つてくすんだ色あひを喜ぶ、後世の廃頽した趣味からわり出して、物喜びをした、幼い昔の神におしあてたものと言はねばならぬ。
処が又、然《サ》る古代こがれでない人々から、近代風に謬られ相な、葬式の赤幡・青幡、降参の素《シラ》幡がある。

     四

お互にせはしない世の中に生れ合せて、紙魚《シミ》の住みかにおち/\と、見ぬ代の祖々《オヤ/\》と話し交しても居られなくなつた。其為に、心の底から古なぢみの様な気のせぬ物は、夙かれ遅かれ何時かの昔に、海のあなたから渡つて来た迄、影も形も、此土にはなかつたもの、と早合点にきめられて来た。和順の心を示す白旗の如きも、人によつては、とてつもない新舶来《イマキ》の代物と考へてゐるかも知れぬ。併し此は寧、純朴な物忘れであつて、二三、学問を享楽する事を知つた、譬へば、名ある者とし言へば、巾着切りの生《シヤウ》国迄も、自分の里にひきつけねば措かぬ物識りたちに、鼻のさきであひしらはるべきものではない。
古く、白旗を樹てゝ和順・降伏の意を現した、と見える事実はある。周防の娑※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《サバ》の魁師|神夏磯媛《カムカシヒメ》は、天子の使ひ来ると知つて、磯津《シツ》山の賢木《サカキ》を根こじにし、上枝《ホツエ》に八握《ヤツカ》[#(ノ)]劔、中枝《ナカヅエ》に八咫《ヤタ》[#(ノ)]鏡、下枝《シ
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