である。
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文學は口説《クゼツ》の藝術であつた。その爲に内に持たれてゐるものは、人の心へ直に論理的にはたらきかけた。だから人々は、各その人生を以て文學を受けとらうとした。それで、文學はじまつて以來、正當な批評の準據は、人生にあつた。
その文學が、人生をどう扱つてゐるか。曲つてとり扱つて居はすまいか。かう言ふ立ち場が最古い文學の時代から、その批評にはあつた。
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今の人生――と言ふよりも、今の人生の基準になつてゐる過去の人生が、だから、批評の準據として、文學の正面に立てられる。次代の美しい人生を想見してゐる文學が、其とぴつたりとして來る事は、あたり前のことである。
かう言ふ、批評の危がつて、人生の破壞だと憤つた其文學は、後に見ると、實は何でもないこととして、現實のことに、平靜な姿でおちついてしまつてゐる。
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「人形の家」が今も問題を提供して居るやうに見えるのは、實は錯覺である。つまり、さう言ふ女性解放を戀ひ望んだ歴史を、時々ふり返つて見る――さう謂つた一種の歴史劇と見てよいのだらう。尤、日本の國では、まだのら[#「のら」に傍線]の家出を
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