は、聊か樣子の違つたものである。つまり此から先の人間の生活を、思ひのまゝのいさぎよいものにする――その手はじめに、自分の生活を感情の趣くまゝにふるまうて行く。さうしてその整頓せられて出た結果が、次代の人生の規範として備る。
かう言ふ生活の、實際に現れて來るより前に、言語を以て表現する藝術に、さう言ふ未來の心ゆく姿をば、望み見ることの出來る境までは、行くことが出來るのである。
        *
たとへば、とるすとい[#「とるすとい」に傍線]の樣な人――。現れたところでは、一生を氣隨にふるまつた人のやうにも見える。併し、彼自身が、人間全體の代表であつた形は、はつきりと見られてる。相應に當時の人々からも認め難く思はれて居た氣まゝな欲望を持つた彼である。だが皆次代の人生をそこまでおし擴げようとして居たものだと言ふことに、やつと人々は、後で氣がついた。
たゞ、れふ・とるすとい[#「れふ・とるすとい」に傍線]は篤信者であつた爲に、神の過去の姿をふり返りみる習しが深かつた。それである點、彼の美は、未來へばかり向けられてゐたと言ひにくい處も出て來た訣である。
これが、文學・藝術と、宗教との違ふところ
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