が、もつと重大な虚構が、芭蕉の傳記の一部に割り込んでゐるかも知れない。すると、其は文學と違ふのだから、芭蕉の虚構は、一種別なもらる[#「もらる」に傍線]の問題に觸れて來る。しかし、我々には其場合にも、芭蕉の文學が實生活にまで延長せられた名殘りを見ればよい。そこに、文學研究者に對して問題が、與へられてゐることになるのだ。
この句を見ても、芭蕉がいかに物寂しい日記に、色氣を添へようとしてゐるか訣る。芭蕉が此句を作つた文因ともいふべきものは、月は尾花とねたと言ふ、尾花は月と寢ぬといふ、小唄の古い型が、頭に働きかけてゐるので、萩と月の光りとを交錯させる表現に、遊女の情趣を含めたものが示されてゐるのだ。だからきつと、此句を作る過程には、一つ家に遊女とねたり、といふ形もとつてゐたらう。たゞさうすると、同じ一つ家に遊女と自分が、別々に宿つた一夜、といふ風には受け取らぬ人も出て來るので、此形に直したのだと取つてもいゝ。さういふところまで、芭蕉は事實を文學のために犧牲にしてゐる。だから、其處に到達するまでの道筋として、會はなかつた旅の女を出しさうな點も、不思議ではない。これで芭蕉の偶像を破壞してしまふ人
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