、逗留するところが澤山あるから、お前さん達も、同じ方角に行く者について、自由に行つたらよからう、神の護りできつと無事に著くに違ひない、とそれだけ語を殘して出たが、「哀さしばらくやまざりけらし」と書いてゐる。で、
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一家に遊女もねたり萩と月
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曾良にかたれば、書とゞめ侍る。
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と、名高い句をいかにもほんたうらしく書いてゐる。ところが、曾良の隨行日記にはそのやうな事は一行も書いてゐない。これは、曾良の書き落したものとするよりも、道の記らしいあはれを持たせるために、虚構の上に虚構を重ねたと考へていゝのだ。後の人は、芭蕉の一代中でも、あはれ深い旅路の末、最わびしい經歴を讀んで、身に沁みて感じる。蝶夢の「繪詞傳」などにも、この市振の一夜を繪に畫いて、芭蕉の前で遊女達が泣いてゐるところなど畫いたりしてゐる。
つまり、芭蕉の市振に於ける實際生活は、曾良の日記に書いたところに留つてゐるのだが、芭蕉の空想は其から出發して、虚構と言ふべき文學を作つた訣だ。正直な我々は、虚實竝行の兩日記を見ると、芭蕉の嘘つきなのに開いた口が塞がらぬ氣がする
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