それにしても、箇所々々を見てゆくと、あまり虚構が多いのに、驚かずにはゐられない。其中で、最劇的な――誹諧だと「戀の座」のやうな場面は、皆さんが御存じである。
越後路の末に、親不知「市振《イチブリ》の宿」に來た場面だ。芭蕉といふ人は、老達の人だから、書くにもなか/\考へてゐる。其處が、市振か其以外の處か訣らぬやうに書かれてゐるのだ。尤、これ以外にも、「奧の細道」には是に類似の所がいくらもあるから、虚構の事は隨處に成立する。市振の處をとつて見ると、
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元祿四年七月十二日、――申ノ中刻市振ニ着宿
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といふ風に、隨行日記では書いてゐる。「奧の細道」で其に當る所を見ると、
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――越後の地に歩みを改て、越中の國市ぶりの關に至る。――
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文月や六日も常の夜には似ず
あら海や佐渡に横たふ天河
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といふ句があつて、次に、
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けふは、親しらず・子しらず・犬もどり・駒がへしなど云北國一の難所をこえてつかれ侍れば、枕引よせて寢たるに、云々
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と書いて
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