ては、習熟句の後に来た感じが、満足させるのだらう。
其上しかも、力強い対句まである点に、注意せねばならぬ。「忍阪の……」でも、習熟した語気の上に、人に誨へ導く様な語気は、諺に近いのである。其に力を強める所の対句を負うて居る。「八田の……」も「笹葉に……」も、皆他の句につく序歌らしいものを負うてゐるが、実は各自ら、其に聯絡して居たのである。

     五
       ――と  も  その二

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漣《サヽナミ》の滋賀の大わだ よどむとも、昔の人に またもあはめやも(万葉巻一)
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所謂条件文の型を以て、簡単に此を説かうとしては、当らない。恐らく「滋賀の大曲かくうちよどめり。されども、よどまず(よどまざる如く)は、昔の人に復逢はめや」と言ふ意義の第一表現が、此歌の下句から見られるのである。第二次的統一が、更に呼応的文法を形づくつた。「とも」と呼びかけてゐるから、「またもあはめやも」で応じた形になる。だが其は、意義においてなり立たない。「よどめども」と呼びかけねば、現実の、船遊びに儲け備へた様な、静かな湖面を表す事にはならない。畢竟此「とも」は、文法的論理に引かれて、「ども」とあるべきものが、変形したのである。つまり、「あはめやも」と言ふ感慨を表さうとする心の傾向がまづ動いて居た為に、文法までも予め、此様に仮定の条件で用意せられたのである。形式上の論理を極端に追究する文法としては、然るべき事と思はれる。が、此にも尚今一つ、心理的根拠が考へられなくはないか。
前々、くどく述べて来た様に、「とも」の第一義的形態は、後代の考への呼応法とは、別なのであつた。即「諺」「序歌」の如き引喩を否定して、自身の場合を明示する方法なのである。即、比喩法における否定法の起原を示すものと謂へる。其物ならずして、其物に酷似してゐると謂つた表現法を謂ふのである。私どもは、従来万葉の序歌を解説するのに、此方法を以て飜訳するのが、最よい方法として用ゐ慣れて来たのは、その技巧の底に、此低意識が潜んでゐるところから、さうさせたのだらう。
今一度言へば、
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川上のゆつ磐群に、苔むさず 常にもがもな。常処女にて(同巻一)
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此歌は、「とも」の発想法を逆に行つたまでゞある。
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川上のゆつ磐群に苔むすと(とも) 常にもがもな。常処女にて
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と言ふ場合をも考へてよい。「むさず」は現状でなく、「むす」に対して言ふのである。「川上のゆつ磐群は苔むす」と言ふが、此場合は[#「此場合は」に傍線]苔むす如くにはあらずして、常若の……と言ふ事になるのである。
此方法で、同時に、「恋ひつゝあらずは」「恋ひせずは」「もの思はずは」などの「ず」も、解けてゆくのかも知れない。此には、又別の論文が用意せられる。
即、滋賀の大曲は、常によどむものなりとも、よどまずして、昔の人に復もあはめやも、と謂つた形を採るのが、第一義的であるが、其では、幾分、意義の通じる様に説明すると、「滋賀の大曲うちよどんで、人待つとも、待ちえずして……」と言ふ風になるものと見る事が出来る。さうした後、此「とも」の結着点は下に移つて、「またもあはめやも」で解決せられるのである。度々例示して置いた様に、「とも」の呼応点は、古くは「とも」の直後にあつたものだ。其が、「とも」を以て言ひ棄てる習慣の生じた為に、更に感動的に反語的に、違つた内容と、方向とを以て説明する方法が出来たものらしい。

     六
       ――なにせむに

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しろ金も、黄金も、珠も、奈爾世武爾《ナニセムニ》 優れる宝。子に次《シ》かめやも
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万葉巻五の近代的な作品中でも、殊にもてはやされてゐる歌である。が、此を果して文法的の論理を逐うて、説いてくれた人があるだらうか。山田博士などには、既にあるかも知らぬが聞かない。「なにせむに」は、「何をしように」と言ふ素朴な言語情調から、無益とまで説かなくても、放棄に値するものと謂つた解釈をしてゐるのだらう。だが、此用語例の場合は、「とも」とは正反対に、却て、形式上に、古い痕跡を止めてゐるのである。「なにせむに」は「何に」と同じである。「せむ」は「何すれぞ」「何すとか」「あどすとか」などゝ同じく、近代の「何しに」「どうして」などに通用する「す」で、不定詞の意義表現を助ける「あり」に代るものである。だから、「何の為に」位の語気の、聞える時もあるのだ。
同じ憶良の同じ理論の長歌では、「世の人の尊み慕ふ七|種《クサ》の宝も、我波《ワレハ》何為[#「何為」に白丸傍点]、わが中の産れ出でたる白珠のわが子|古日《フルヒ》は、……」「なにせむ」と訓めさうな処だが、訣らない。「何せむに」と見るならば、「七種の宝も我には何しに宝ならむや。わが中の宝といふは、白玉のわが子古日なり」と説くべきであらう。
ともかくも、「白珠も、黄金も、珠も、宝なりと謂はるれど、何しに子にまされる[#「まされる」に傍点]宝ぞ。豈子に次《シ》かめや」と言ふのである。かうして、此二つを並べて見ると、長歌の方は、叙述部に当るものを、ふるひ落して意の通じるものとして居り、短歌の方は、古風を残して居て、更に、次代の合理解に移る過程を示してゐるではないか。
「まされる宝」は、「子に次かめやも」の、全然独立した詞句とは関係のない様に見えるが、今一段にして「まされる宝、子に……」と謂つた風に気分的に接続しかけて居たゞらうと言ふ事も考へられる。「まされる宝」のまされるは当然、この句が上につくべきを示してゐるのだが、条件文の呼応は、呼応そのものゝ責任感だけを長く存して居て、実際の論理的職分は忘れて了ふのである。だから、第二の解釈の様な「まされる宝、子に……」と続けて考へられるのも、無理はない訣である。
後期王朝の物語日記の文章には、更にかうした事が多く見られる。「あはれ」と言ふ語は、殆悉く「おもしろし」にも、「かなし」にも、「うれし」にも、何にでもつく事を予想して、すべてを省略してゐる。さうして、「あはれなり」「あはれの……」「あはれなる……」など言ふ風に用ゐられる。だから、「あはれ」その語の含蓄自身が、広い様に見えるのだ。此などは、馴れ過ぎて問題にすらならない。皆「あはれ」独自の用語例と考へてゐる。
又譬へば、「あさましく」と言ふ副詞形においても、皆其下に来る叙述語を省いて、この修飾語だけで気分を十分に出して居る。更に其を含んだ形として、「……あさまし」と文を綴める。「たまげる程……だ」と言ふ、気分には、悲しさもあり、情なさもあり、醜さもあり、嬉しさもある。其が段々近代の「情なさ」を表す傾向に、次第に用語例が統一せられて来たのだ。又譬へば、「わりなく」「わりなし」の場合でも、さうである。多くは、此下の叙述語を省いて、其を直に気分的に思はせる習慣になつて、遂には其自身に、ある意義が加り、固定する方に傾く。
「なか/\」なども、とてもかうした例を多く持つてゐる。もつとひどいのは、「うたて」である。

     七
       ――うたて

「うたて」は、副詞形として、特殊なもので、
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得田価異《ウタテケニ》心いぶせし。ことはかり よくせ。吾が兄子。逢へる時だに(万葉巻十二)
秋と言へば、心ぞいたき。宇多弖家爾《ウタテケニ》、花になぞへて見まく欲りかも(同巻二十)
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後のは、擬古作家なる家持の作だから、個々の語には信用は置けないが、此などは、当時まだ生きてゐた用語例らしく思はれるので、間違ひではなさゝうだ。
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わが宿の毛桃の下に月夜さし 下心吉《シタコヽロヨシ》(苦《(グシ)》)莵楯頃者《ウタテコノゴロ》(同巻十)
三日月のさやかに見えず雲隠り 見まくぞ欲しき。宇多手比日《ウタテコノゴロ》(同巻十一)
何時はなも、恋ひずありとはあらねども、得田直比来《ウタテコノゴロ》恋ひの繁しも(同巻十二)
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あげるもこと/″\しいが、此が今まで知れて居る、万葉集における用例の総計であらう。古今集には、あやまりかも知れないが、異例として、
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花と見て折らむとすれば、女郎花うたゝあるさまの名にこそありけれ(古今巻十九)
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が残つてゐる。此などは、うたて[#「うたて」に傍線]でもさし支へのない内容を持ち乍ら、真実ならば、形だけに、古風を存してゐると謂へる。
万葉のは、「うたてけに[#「けに」に白丸傍点]」又は「うたて此ころ[#「此ころ」に白丸傍点]」と言ふ風の形しかない。もつと外の表現もあつたのに違ひないが、此だけで見ると、他のものも、或はかう言ふ風に、一日々々とある状態に進むことを見せてゐる。「けに」は言ふまでもなく、「日にけに」の「けに」である。「このごろ」は「幾日以来」だから、日頃における進行を示すのだ。其から見ても、「うたて」にも、益・愈などの意味の含まれてゐることが、推定せられる。即、日本紀旧註其他、漢文訓読の上に残つてゐる「転《ウタヽ》」に、ぴつたり当るものである。
本来、「うたて」には、「憂し」の系統に属する内容はなかつたのである。処が、歌の上で、用語例が偏して来た為に、叙述語の方から影響を受ける様になつたのだ。
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花見れば花に慰まず転《ウタヽ》益、花になぞへて、人を思ふに、心痛むを覚えるのである。秋と言ふほど、愈[#「愈」に白丸傍点]心が痛いのである。
かうして逢ひ得た今だけでも、妾の話によくのつてくれ。此頃一日々々愈、心が憂鬱になつて行くのを覚えてゐる。
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「このごろ」についてゐるのを見ても、「うたてこのごろ……下心ぐし・見まくぞほしき・恋ひの繁しも」と言ふ風に続いてゐるのが、句の転倒するものゝ多い所から、「うたて」が叙述語の様に感じられて来るのだ。かうした形が進むと、次第に「うたて」が叙述部を代表する様になる。先に述べた平安朝の副詞と叙述語との関係を省みるべきである。
「うたて」の叙述語に当るものが、常に略せられて、「うたて」自身が、叙述部に這入つて来る様になる。すると、そこに仮りに、叙述語に代るべき代用語として常に用ゐられた「あり」が這入つて来る。即、「うたてあり」が、是である。さうして、此語は、既に「うたて、憂鬱なり[#「憂鬱なり」に傍点]」など言ふ内容を持つて居たのである。
宣長が古事記の「……登許曾、我那勢之命為如此登詔雖直、猶其悪態不止而転」を「……とこそ、あがなせのみことかくしつらめ、とのりなほしたまへども、なほ、そのあしきさまやまずて、うたてあり」と古訓したのは、時代を錯誤した様に思はれる。文章としては劣つてゐようが、「そのあしきさまやまずて、うたてけに、天照大神……」と続いて行くのではないか。「うたてあり」に遅れて出たのは、「うたてく」といふ形で、かうして近代になると、「うたてし」「うたてき」又、「うたてい」なども、使はれ出した。
愈益など言ふ意義が、非常にと謂つた意義から、叙述語に没入して、憂愁を表す語となつて、遂には其自身その用語例にのみ在る語の様に考へられ、又擬活用を生じ、更に純然たる形容詞のやうな姿をとる事になつたのだ。

     八
       ――袖も照るかに

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まきもくの 穴師の山の山びとゝ 人も見るかに、山かづらせよ(古今巻二十)
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私は、何を言はうとしたのかを、今述べねばならぬことになつた。何よりもまづ、文法意識の推移と言ふ事に注意を向けて貰ひたい点に、目的があつたのだ。さう言ふ立ち場においてのみ、文法と国語との、自由な関係が見られるので、此をちつとでも固定させては、もう論理的遊戯に陥る事を述べたかつたのだ。
だが、当面の例題として、私の採つたものは、過去の日本語が、今日の国語においては、無用と思はれる様な表情法の幾つか
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