よくなつて行つた。「べく」になつても、さうした副詞句は、条件の完全な短文を含んで居た。唯|再《ふたたび》、固定断片化する事によつて、今日でも認容せられる形になつて了つた。
「かに」と「かね」との関係は、今説明してゐる暇がない。唯、元二つながら全然交渉のない語として成立して来た。其が音の類似から、次第に、内容接触の度が切実になつて来た。だから、「べく」と訳して見ると、大体一つの用語例にあるものと見える。にも繋らず、此だけ形式が類似してゐて而も、際立つて用語例の相違のあるのは、語原の相違を思はせてゐるのだ。かね[#「かね」に傍点]の方は、「予《カネ》」或は「料《カネ》」など言ふに接近してゐる。其だけ、名詞に近い感じを持たせる句を作る。私は、逆に、かうした事を、おなじ起原を持つものが、形式分化から差異を生じたとは考へられないと見てゐる。「かね」には一つは、「語りつぐがね」と言ふ大きな一類の語群を持つて居たらしく、「言ひつぐがね」と言ふ同義語としての対句もある。之を「かに」の用語例にうつして見ると、「今語りついで居る様に」と説かねばならぬ様である。又将来に関係あるにしても、「かね」の遠くを予期する言ひ方とは違つてゐる。「この通りだらう」と言ふ程の義である。

     三
       ――言へばえに

[#ここから2字下げ]
言へばえに、言はねば胸のさわがれて、心ひとつになげくころかな
[#ここで字下げ終わり]
伊勢物語に残つた歌であるが、語の格から言へば、その時代のものと考へられて居るよりも、更に可なり古い形を含んでゐるものと思ふ。「言へば」と「言はねば」と、二つ対立せしめて居るので、時としては、「言はゞ」「言はず――言はざらば」の対照に作つても、同じ事である。「えに」は、下に稍詳しく、「言はねば胸のさわがれて」とあるべきことを予期する点から、其意義を気分化して、理会せしめようとしたのである。「言へば言ひえに[#「えに」に傍点]」で、言はうとすると「常にえ言はないで」の義で、詞章の上の例は稀であるが、実際には、多く行はれたらしい。平安朝の文学に屡※[#二の字点、1−2−22]現れ、武家時代にかけて、次第に「艶《エン》に」と言ふ宛て字に適当な内容を持つて来た「えんに」と言ふ語は、実はこの「えに」の撥音化なのである。「言はゞ」或は「言へば」の前提に続いて、「言ひえに」が習慣としてくり返されて、遂に「えに」だけでその代表をするほど、気分化して了つてゐたのである。
即、茲に見られるのは、「けなばけぬかに」の一類が、遊離した「けぬかに」「けぬべく」を作る様に、「えに」が固定して、尚「言ひえに」に近い気分を、人に与へることが出来たのである。
此はちようど、「かてに」と言ふ語にも、同様な例が考へられる。「ひろへばかてにくだけつゝ」と言ふのは、普通「拾ふとすればその傍から、砕け/\して行く」と言ふ風に説いてゐる。だが、此も単なる同音聯想で、さう古くからも、聞えたゞけであらう。拾はむとすれば「拾ひ不敢《カテニ》」の形が、一つの「拾ひ」をふり落したのであらう。
おなじ事は、「え―う」「かて―かつ」などゝ同義語なる「あへ―あふ」にも見られる。
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……延《ハ》ふつたの別れにしより……ゆくら/\に、おもかげに もとな 見えつゝ、かく恋ひば、老いづく我が身 けだし安倍牟《アヘム》かも(万葉巻十九)
[#ここで字下げ終わり]
老いづくわが身にして、恋ひあへむや。恋ひあへずして……なりゆかむと言ふ意である。唯、身が持ちこたへようかとの意ではないのだ。「もとな」なども、此から説明するのが最正しいが、此は亦問題が大きいから、別の機会にする。かういふ風に、動詞でありながら次第に助動詞らしい職分を分岐して来る。その過程として、其と熟語を形づくつた語の脱落することが見られる。さうして更に一種の副詞の形に移つて行く。
この例で見ると、「老いづく身にして、かく恋ひば恋ひあへじ」の義であるから、「かく恋ひば」と言ふ過程は、前例と同じく、実際の内容として、既に意義を十分出してゐると共に、之を内容からとり去つても訣るのである。つまりは、前代遺存の形式の後代合理化から、「……俤にもとな見えつゝ」など言ふ、「かく[#「かく」に白丸傍点]恋ひば」の説明がついて来る訣である。
「かく恋ひば、恋ひ[#「恋ひ」に二重傍線]あへむかも」が、「言へばえに」「ひろへば拾ひかてに」の形式を持つたものと考へてよいのである。「けぬかに……」「けぬべく……」と等しく条件の一部が遊離した訣だ。
「えに」から出た「えんに」は、次第に「艶に」の言語情調に近づいて来るが、古いほど「言ひえに」の義を持つてゐた。「説明出来ない程よい」と言つた様な意を示す語が、語原を忘れゝば、「えんに」と言ふ音に意義を求めようとするのが、当然である。だから平安朝の日記・物語類でも、古いものゝ「えんに」の用語例を検すれば、所謂「艶に」とは、関係が薄くなつてゐることが見られるのである。
何の為に、かうした文法上の瘤とも言ふべき前提を置く慣例が行はれて居たのだらうか。

     四
       ――と  も  その一

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ことゞはぬ「樹爾波安里等母《キニハアリトモ》」、うるはしき君がたなれの琴にしあるべし(万葉巻五)
山川を中に へなりて「等保久登母《トホクトモ》」、心を 近く思ほせ。我妹《ワギモ》(同巻十五)
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たとへば、「見とも飽かめや」は、正しくは「見とも見飽かめや」である。又もつと正式と見えるもので言へば、
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「松浦川 七瀬の澱は よどむとも、我はよどまず」君をし待たむ(同巻五)
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の如く、「よどむともよどまじ」と謂つた形になるものである。但、此場合、「われはよどまず」は副詞句で、待たむ[#「待たむ」に傍線]の文法的職分に統合せられる地位にあるものとして、此で正しい訣である。つまり、第一句以下第四句までゞ、完全に序歌となつてゐる訣である。かう言ふ形が「とも」の本格の用語例の外貌であつたに違ひない。
又、「木にはありとも」で見ても、「……木にはありとも、君が手馴れの琴の木[#「琴の木」に白丸傍点]にしあるべし」と言ふ意識は、忘れながらにも、失せきらなかつた事を見せてゐる。
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にほどりの「息長《オキナガ》川は絶えぬとも」、君に語らむこと つきめやも(同巻二十)
[#ここで字下げ終わり]
「息長川は絶えぬとも絶ゆることなく[#「絶ゆることなく」に傍点]、其如く、君に語らむことも絶え尽きめやも」と言ふのである。
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島の宮 上の池なる放ち鳥。あらびなゆきそ。君不座十方《キミイマサズトモ》(同巻二)
[#ここで字下げ終わり]
「君いまさずとも在すが如く[#「在すが如く」に傍線]して」、荒びなゆきそである。
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あたひなき宝と言十方《イフトモ》、一坏《ヒトツキ》の濁れる酒に、豈まさらめや(同巻三)
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無価宝珠と言ふとも、宝ならざる[#「宝ならざる」に白丸傍点]如く、一坏の酒にはまさらじと説くべき過程を経て、後代の「君が在まさぬ現状にありとも」「無価宝珠と言ふものなりとも」と謂つた風に、説明出来る様になつたのである。
もつとよく考へると、「ことゞはぬ木にはありとも」と言ふ句は、此歌以前にすでに、幾多の類型を以て、木精・石精等のことゞはぬ事を力強く述べて居た、その諺を下に持つて言つてゐるのだ。だから「木はことゞはぬやうに呪服せられてゐる」と言ふ事は知つて居るが、と過去の知識の引用があるのである。だから第一には、「ことゞはぬ木にはありとも、さる諺の如くはあらずして」と言ふ意が含まれてゐたのである。其が更に一飛躍して、新しい文法的職分が出来ても、同じく「琴の木にしあるべし」と謂つた呼応を作つて行く訣なのだ。
「山川を中に隔《ヘナ》りて遠し」といふ発想法は、極めて古くからあり、又近代的にも喜ばれて居たもので「山河毛隔莫国」「海山毛隔莫国」「あしびきの山乎隔而」「あしびきの山河隔」「高山を障所為而《ヘダテ(?)ニナシテ》」「高山を部立丹置而《ヘダテニオキテ》」「山川乎奈可爾敝奈里※[#「低のつくり」、第3水準1−86−47]」「山河能敝奈里底安礼婆」など、万葉ばかりでさへ、幾多の類想が、久しく行はれた事を思はせて居る。其うち、殊に山河を対立させたものが、尤好みに叶うたと見える。さてその所謂「山川隔る……」と言ふ風俗諺[#「風俗諺」に傍点]のもあるが、と言ふ意味を含めて居るのが、「山川を中に、へなりて遠くとも」である。だから第一義としては、「山川を中に、へなりて遠し」と詞にありとも、我らは遠からず、と言ふ内容を見ねばならぬ。第二義の飛躍が、『「山川を……遠からず」して、近く思ほせ』と言ふ事になるのだ。
必しも純粋な諺でなくても、同じ様に考へられるものなら、何でもかうして、「とも」を以て、受けることになるのだ。さうして、此「とも」の受け方の特徴は、諺的の詞句が、固定した形のまゝでなくてもよい事で、自由な発想や、理会や感情を加味してもよい処にある。つまりは、前型を近代式に言ひかへて、さし支へない点があるのだ。
さうした習慣が、此と同様な方法を分化せずには居ない。必しも古来の詞章・故事熟語的のものでなくとも、任意にさうした発想は出来る訣である。「にほとりの息長川は絶えぬとも」などの場合が、其である。必しも息長川に対して、「絶ゆ」、「あす」など言ふ語句が来なくとも、他の川について言ふ類型で推す訣である。つまり、「諺」又は「前詞章」を想ひ、其飛躍転用する方法を採つたのだ。
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「『やまとべに にし吹きあげて雲ばなれ』曾岐袁理登母《ソキヲリトモ》」我忘れめや(記)
「山越えて海渡る騰母《トモ》」おもしろき新漢《イマキ》のうちは、忘らゆましゞ(紀)
「大だちを 誰佩きたちて ぬかず登慕《トモ》」すゑはたしても、あはむとぞ思ふ(紀)
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此等も序歌と言へばそれまでだが、諺類似のものを思はせる言ひ方で、その中、「大だちを」の例で見ると、「大だちを……抜く」と言ふのから転じて、と言ふ如くにして「ぬかずとも」と言ふ事になつて居る。
かうした「とも」の、次第々々に助辞的に固定した用語例を持つて来る過程には、記紀の極めて古い例がある。其は必しも、古代の歌の順序が、其成立の順序を示さないからである。だが同時に、其等の例の中に、今日の直観に、極めて近い相似たものがある。
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……むら鳥の我が群れいなば、ひけ鳥の我がひけいなば、泣かじとは汝《ナ》は言ふ登母、やまとの一本薄 うなかぶし汝が泣かさまく 朝雨のきりに立たむぞ……』(記)
忍阪の大|窖《ムロ》屋に、人さはに来入り居り、人さはに伊理袁理登母……』(記)
八田のひと本菅は、ひとり居り登母 大君しよしときこさば、ひとり居り登母』(記)
笹葉にうつや霰のたし/″\に 率寝《ヰネ》てむ後は、人はかゆ登母』(記)
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「泣かじと言ふとも、汝は泣かずはあらじ」と今一度返して居たのだ。が、論理的形式として、末にやはり、「……汝が泣かさまく」と「泣かじと言ふとも……汝が泣かさむ(ま)+く」と解決がついて居る。忍阪の例で見ても、「……入りをりとも……うちてしやまむ」と論理的解決はついて居るやうだ。が、今一つ前には、「入り居りとも、さやらず我は入りて」と言ふ意義を含んで居たに違ひない。
後の二つは、記載例としては遅れてゐるが、同じ感じを持たせる「とも」である。「八田の一本菅は、ひとり居りとも、居り敢へむ」「人はかゆともはかられゐむ(又は離《カ》るとも、離《カ》るに任せむ)」と、やはり呼応するものはあつたのである。其と同時に亦、慣用句に似たものは、受けて来てゐたのである。「むら鳥の……泣かじとは」の句は修飾的には、文法としての勤めは果してゐないが、形式とし
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