文法的論理に引かれて、「ども」とあるべきものが、変形したのである。つまり、「あはめやも」と言ふ感慨を表さうとする心の傾向がまづ動いて居た為に、文法までも予め、此様に仮定の条件で用意せられたのである。形式上の論理を極端に追究する文法としては、然るべき事と思はれる。が、此にも尚今一つ、心理的根拠が考へられなくはないか。
前々、くどく述べて来た様に、「とも」の第一義的形態は、後代の考への呼応法とは、別なのであつた。即「諺」「序歌」の如き引喩を否定して、自身の場合を明示する方法なのである。即、比喩法における否定法の起原を示すものと謂へる。其物ならずして、其物に酷似してゐると謂つた表現法を謂ふのである。私どもは、従来万葉の序歌を解説するのに、此方法を以て飜訳するのが、最よい方法として用ゐ慣れて来たのは、その技巧の底に、此低意識が潜んでゐるところから、さうさせたのだらう。
今一度言へば、
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川上のゆつ磐群に、苔むさず 常にもがもな。常処女にて(同巻一)
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此歌は、「とも」の発想法を逆に行つたまでゞある。
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川上のゆつ磐群に苔むすと
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