何を書こうとしたかと言うと、源氏が一生に行った事にあるのではない。源氏の生活の中から、作者が好みのままに選択して、こう言う生活をした人に書こうという風に、或偏向を持った目的に源氏が生きて行っているように書かれたと思うのは、どうかと思う。源氏自身が其生活に、我々の考えるような目的を常に持ってしている訣ではない。唯人間として生きている。ところが源氏という人間の特殊な性格と運命が、源氏の生活を特殊なものにして行っている。併、たとえば実在の人物として考え、後から其生活を見ると、自ら一つのまとまりがついていて、此方向へ進もうとして居たことが考えずには居られぬ。そこに人生の筋道が通っているのである。唯作者が勝手にぷろっと[#「ぷろっと」に傍線]を持って作った型ではなく、源氏の生活の中に備っている進路に沿って書いているのだと言える。即そこに昔の日本民族の理想の形と言うものが現れて来るのであり、日本人の生きようとする方向を、源氏という生活者を一つの例に取って、示している事になる。
皮相な見方をすれば、源氏物語は水のあわ[#「水のあわ」に傍点]のようにあとかたもないうわうわ[#「うわうわ」に傍点]した作
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