書いているうちに、其人の実際持っているもの以上に、表現に伴うて出る力があって、ぐんぐんと出て来るのである。源氏物語の作者にも、勿論そうした部分が十分に認められる。寧《むしろ》此力が異常にはたらいている為に、ああした遥かなと言っても遥か過ぎる時代に、あれだけの作物が出来たのだと言うことが出来る。
我々が此物語を読むについて、も一つ考えてみなければならぬ事がある。作家が小説を書く場合には、予め、どう言う事を書こう、それにはどう言うてま[#「てま」に傍線]を持って来なければならぬと心に決めてかかる訣である。
所が譬えば大石内蔵介を主人公として書こうとするのに、彼が京都でどんな生活をしていたとか、討入りの前日に何をしたとか書いている小説があるとする。思いがけない解説を聞いて読者は此が小説の本領だと思う。知性の勝った読者の殖えた時代には、そうなるのは当りまえである。だが本とうは作者自身の考えで内蔵介の生活を設定して、作者の考えた型へ内蔵介を入れてしまう事になるのである。そうしたものが、小説として価値のある作品だと考えられ易いが、此はよく考えてみなければならぬ問題である。源氏物語を書くのに、作者は
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