れで訣《わか》るのだ。
光源氏を中心にして、こうした宮廷の女性や、又は貴族の婦人等が、それぞれいろんな形で触れ合ってゆく様子が、此物語に大きく繰り拡げられている。併、此物語の書こうとする主題は、そう言うところだけにある訣ではない。

    ○

人によっては、光源氏を非常に不道徳な人間だと言うけれども、それは間違いである。人間は常に神に近づこうとして、様々な修行の過程を踏んでいるのであって、其ためには其過程過程が、省みる毎に、あやまちと見られるのである。始めから完全な人間ならば、其生活に向上のきざみはないが、普通の人間は、過ちを犯した事に対して厳しく反省して、次第に立派な人格を築いて来るのである。光源氏にはいろんな失策があるけれども、常に神に近づこうとする心は失っていない。此事はよく考えて見るがよい。近代の学者は、物事を皮相的にしか考えなかった訣ではないが、教えられて来た研究法が形式倫理以上に出なかった。源氏物語を誨淫《かいいん》の書と考え、その作者紫式部の死後百年程経て、式部はああ言ういけないそらごと[#「そらごと」に傍点]を書いた為に地獄へ堕《お》ちて苦しんでいる、と言うことさえ
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング