信じられていた程である。これは其時代の人々に、小説と言うものが人生の上にどんな意義を持っているか訣らなかった為である。源氏物語は、我々が、更に良い生活をするための、反省の目標として書かれていた訣を思わないからである。光源氏の一生には、深刻な失敗も幾度かあったが、失敗が深刻であればある程、自分を深く反省して、優れた人になって行った。どんな大きな失敗にも、うち負かされて憂鬱《ゆううつ》な生活に沈んで行く様な事はない。此点は立派な人である。
こうした内的な書き方だけでは、何としても同じ時代の人の教養では、理会せられそうもないから、作者は更に、外からは源氏の反省をしめあげる様な書き方をしている。すべて平面的な描写をしているのだが、源氏の思うている心を書く時は、十分源氏側に立っているのだし、客観的なもの言いをしている時は、日本人としての古い生活の型の外に、普遍的なもらある[#「もらある」に傍線]があるのだと言うことを思わせるようになっている。其は、因果応報と言う後世から平凡なと思われる仏教哲理を、具体的に実感的に織り込んで、それで起って来るいろんな事件が、源氏の心に反省を強いるのである。源氏がい
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