申されない。

     三 田遊びの意味

田遊びのあそぶ[#「あそぶ」に傍線]は、古い用語例では、鎮魂を行ふ為の舞踊を言うたのだが、其後、意味が段々変つて、主としては、楽器を用ゐるものに就いて言ふ様になり、後には、野山に狩りをする事をまで、此語で言ふ様になつたが、元来は、鎮魂の為の舞踊を意味した語で、田遊びとは、とりも直さず、田の鎮魂術を行ふ事だつたのである。此考へは、恐らく間違ひがない、と今の自分は信じて居る。
田遊びは、余程古くからあつたが、古くは、此を行ふ時期はいつであつたか。普通には、五月田植ゑの時と云ふが、私は、さうは思はない。此式の行はれたのは、年の始めか、旧年の暮れに取り越して置いたのである。其が、其だけでは、効果が薄い様に考へて、さなへ[#「さなへ」に傍線]を植ゑる時に、もう一度此を行ふ様になつた。だから、元来は田植ゑの時にはなかつたものだ。此には、証拠がある。
春の初めに、其年の一年中の田の出来栄えを見せて置く。此が、此行事の起りである。其出来栄えは、誰が見せたか。神――遠来の神――であつたとも、其神の命令に従ふ土地の神であつたとも、或は、さうした遠来の神の命令があるので、為方なしに土地の精霊が、誓約のしるしに、此を行うて見せたのだとも考へられる。あちこちの地方で行はれて居るものを見ると、此が殆、混同して行はれて居る。しかし、大体に於いて、かういふ風にしろと見せて行くのと、私の方では、かういふ風に致しますとして見せるのと、此二つの様である。勿論、さう論理に合ふ様には、どこでだつて行うて居ない。
とにかく、この行事は、神或は神の資格を有するものによつて行はれる。その神は、尉と姥との形をして来るのが普通であるが、ところによつては、違うた形のものもある。東北地方では、妖怪の姿に変つて居る。大黒・夷の出る地方などもある。神楽では、この尉と姥とが、猿田彦と鈿女とに変つて居るが、この二人に変つたのには、訣がある。それは、此二人が擁き合ふところがあるからだ。此二人の役の主たるところは、其点にある。昔の人は、其を見て、ほがらかな喜びを感じたのだと思ふ。

     四 田遊びに出る翁と媼と

歴史の上では、この尉と姥とに就いて、たつた一つだけ、似た例のあるのが、見られるやうである。近世まで跡を引いた、民間に伝承せられた民俗の方では、爺婆の出て来るのは、殆普通の
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