田遊び祭りの概念
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)歌舞《アソビ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひ

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)西[#(ノ)]小殿

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一 田遊び・田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひ・田楽

日本には、田に関する演芸が、略三種類ある。第一は、田遊びである。此行事は、余程、古くから行はれたものと思ふ。次は田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひで、此も、奈良朝以前既にあつた。第三は、平安朝の末に見え出して、鎌倉に栄え、室町に復活した、田楽である。
田遊びは又、春田打ちとも言ふ。所によつては、此を暮れに行ふ事もあるが、多くは正月に行ふので、現在でも、新旧の正月に此を行ふ地方が、まだ方々にある。勿論現在行はれて居るものは、いろ/\形が変つて了うたものが多いが、東京附近では、赤塚村の諏訪神社で行はれるものが、一つの典型的な形と見られる。
田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひに就いては、古い文献もある。日本紀に、天智天皇の十年五月、群臣と西[#(ノ)]小殿に宴して、此を御覧ぜられた事が出て居る。田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひの名が、ものゝ上に見えて居るのは、此が最初であるが、実際はもつと、古くからあつたに相違ない。
しかし、此田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひは、早く民間を離れて、宮廷のものになつて了うた様だ。少し後れては、雅楽寮の諸師の員数を定めた中に、田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]師幾人を置く、と規定した官符などが見られるほどで、其頃になつては、最早、民間の行事ではなくなつて了うて居たと思はれるが、やはり此は、元は五月の田植ゑに関したものが、いつか宮廷に採り入れられて、舞ひぶりで、変化させられたのだと思ふ。
田歌を、田※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]ひの歌詞であつたと見るのには、問題がある様だが、此二者には、どうも関係がある
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