も「せだかさのまもの」とある。せだかさは、稜威高《セヂタカ》き所の真物といふ事で、真物は其神格を褒めたのだ。君真物は、即真物君で、人間には神とも女君とも判断の出来ぬ霊力を持つて現れるもので、真実は、巫女の託遊するものである。「首里見物君」「平良見物君」とある女君の名が、逆序で行けば、君見物である。此為の註釈には役立つ。沖縄の神の出現は女君によつてするものが、その中女君の身に託して、男神も多く現れるのである。君の縁で言ふのだが、正語序のやうに見えるもので、世治新君《セヂアラキミ》按司といふ女君の名がある。おもろ双紙にも、王を褒めて「せちあらとみ」といふ語の見えることは、先に触れておいた。せぢ[#「せぢ」に傍線]は日本で言ふ稜威《イツ》である。あら[#「あら」に傍線]は新の字を宛てるが、出現の意に使つた類例が多い。「せちあらきみ」は神威著しき女君といふことらしい。扨今一つのとみ[#「とみ」に傍線]は、とよみ[#「とよみ」に傍線]といふ語の熟語馴化である。宮廷に仕へてゐた勢頭《シヅウ》九員(諸事由来記)皆、勢遣富・世高富・謝国富・島内富・押明富・勢治荒富・相応富・世持富といふ風に富の字を以て
前へ
次へ
全61ページ中54ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング