え、又自然な並べ方のやうにも見られるだらう。
たとへば、「百済[#(ノ)]池《イケ》津[#(ノ)]媛」など言ふのを順当と解すれば、媛といふ称号は、唯の敬称のやうに、近代の感じ方では思はれるだらう。併し古代宮廷の慣例によれば、夫人・媛は、三韓の貴族の女性の官或は族姓を示す称呼である。「狛夫人某と、新羅百済の媛善妙・妙光其他を度《ド》した」(崇峻三年紀)とあるのは、新しく彼地から来た人々で、菩提寺で得度せしめたものゝことを言ふのである。新羅媛・百済媛はその族姓を示し、善妙・妙光は名を言ふものと見られる。雄略二年紀には、媛を後にしてゐる。此はやはり同様に見るべきもので、百済媛池津とあるに等しく考へてよい。中臣氏の金《カネ》・鎌足等に、連姓のつく様子は、日本紀記録――或は日本紀資料記述時代に、既に姓の下に廻る風の現れてゐたことを示すものであらうが、一方又、姓が敬称としての感覚を表す様になつて来たことを見せてゐるらしいのである。他の家々の宿禰・臣・連などの位置が、同じ時代に上にも下にも置かれるが、概して下になる傾向が出てゐる所に、新古の感覚の相違が出てゐる。後になるほど、真人や朝臣が姓と言ふより
前へ
次へ
全61ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング