つて来る。かうなるのには、寿詞の方から出た理由があるのである。

     二

祝福する文章の表現は常に「何々の如く何々なるべし」と言ふ風の詞を幾つも並べて、対象を「ほ」にあやからせようとする。根本はとうてむ[#「とうてむ」に傍線]関係の呪術から「何々の威力を持つて何々を守らう」とする考へなのであつた。其を、象《ホ》の各方面から解釈し、占あつて言ふ習慣に結びついて来た。家ほき・酒ほきの元は、人命の祝福の「ほ」を家・酒に求める事だつたのである。其が人と共に家・酒を祝福する事に易《かは》つて了ふ。家なり酒なりの色んな状態で以て、ほく[#「ほく」に傍線]ことになる。各部分の特徴を人命の長久堅固に聯想して理由づけて行く。譬喩を含む対句は寿詞の側から出て発達したものと見られる。だから、古代の歌ではみな譬喩を持つたものは、やはり対句として複譬喩で出来てゐる。
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神風の伊勢の海の 大石《オホシ》に 這ひ廻《モトホ》ろふ 細螺《シタヾミ》の い這ひもとほり、伐ちてしやまむ(神武記)
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此は単譬喩の歌である。
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……群鳥《ムラトリ》の
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