寿詞に結びついて伝誦せられ、民謡・創作詩の時代になつても、修辞部分として重んぜられてゐた。創作詩の時代に、枕詞の新作せられたのもあるが、記紀などに、見えるのは、多く固定した死語として物語の中に伝はつたものである。
社会局の谷口政秀氏は、枕詞は沢山ある物語の心おぼえで、何々枕詞の最初にある物語と言ふ風にして居たのだらうと言はれた。此もおもしろい考へではある。自然さうした為事も出て来たにしても、起りは其では、説明が出来ない様である。
譬喩表現をとり入れてからは、枕詞や序歌は、非常に変化して了うたが、元は単純な尻取り文句の様なものであつたのである。其が内容と関聯する様になると、譬喩に一歩踏み入る事になる。忽《たちま》ち対句の方で発達した譬喩表現に圧倒せられて、姿は易つて了うたが、でも、玉桙・玉梓《マヅサ》と言へば道・使を聯想したのは、譬喩にばかりもなりきらなかつたのである。駆使《ハセツカヒ》に役せられた杖部《ハセツカヒベ》の民の持つたしるし[#「しるし」に傍線]の杖を、棒《ホコ》と言ひ、棒の木地から梓と言うたのである。かうしたものは、段々なくなつて、純粋譬喩に傾いたのが、主として人麻呂のした
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