、「ふり」である。雄略朝の歌として伝るものは、概ね「志都歌」と言ふべきものなのだらうが、其中、古くて名高いものは、名高いだけに、各早く別々に独立した。天語《アマガタリ》歌などは最著しい鎮魂の来由を持つたものであるが、「志都歌」から出て、別の歌群を形づくつた訣である。さうして、「志都歌」と称せられるものとして、穏かな詞章だけが残つた訳である。だが、一方の「志都歌の返歌《カヘシウタ》」――此は、歌返《ウタガヘシ》だとする説もある――の方は、まだ名義がはつきりしてゐる。其程、鎮魂の意味をはつきり持つてゐるのだ。
怒りと鎮魂と
古代の皇后は、その常に、聖事として、清き水と、清き水を以て天子の大御身を清める行事と、清き水の聖事をとり行ふ時の採《ト》り物《モノ》に関することは、躬らお行ひにならねばならなかつた。葛城部の伝承の主人公なる貴い女性は、採り物の一種、酒杯用の御綱柏《ミツナガシハ》を紀伊の国にとりにおいでになつた。其間に、後妻《ウハナリ》として八田若郎女《ヤタノワキイラツメ》を宮廷に召された。帰途、海上で其噂を聞いて、御綱柏を海に投げ入れ、御舟は高津宮の下を通り過ぎて、淀川
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