「やく」に傍線]といふ用語例をも持つてゐたのである。即、やき媛、くすべ媛と言ふ、嫉みの女性なることを示す名であつた。まことに黄泉の国から、伴ひ帰つた女神だけに、嫉妬の感情までも、其国から携へ来つたものと考へられてゐたのである。我が古代人も亦、嫉妬を冥府の所産と信じてゐたことが、知られるではないか。
磐姫|嫉妬《ウハナリネタミ》の記述は、記紀いづれにもあるが、国語の表現に近寄つてゐるだけに、古事記の方が感じも深く、表現も行きとゞいて居り、古代人の官能まで、直に肌や毛孔から通ふやうに覚えるのである。語部《カタリベ》の物語――其は葛城部《カツラギベ》の伝承と名づくべきもので、記紀の此記述の根本となつてゐるものであらう――があつたとすれば、どれほど人生を美しく又|饒《ユタ》けく感ぜしめることであつたらうと、其飜文した古事記高津宮の、かの条から感銘を受けるのである。まことに、暢やかな長篇の叙事詩を見る心持ちを覚えるのは、私だけのことではあるまい。
甘美な叙事詩「天田振」が、文学以前にあつたことすら、我々にとつては大きな事柄である。其上、祖先の人々は、この辛くして舌に沁む美しさを湛へた志都歌《シヅ
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