たれるのだから、神秘を要するものとして、記録はしなかつた。其上、唱へる際も、列座の耳にも入らぬ程、微音に発語したものと思はれる。延喜式祝詞に度々出て来る「天つのりとの太のりとごとを持ちて申さく」とあるのは、場所によると、其後につゞく部分が、後世の人には、如何にも「天つのりと」らしく見えるのだが、事実は、其「天つのりと」を唱へにかゝると、扱ひ方が違つたと見えて、其詞章は抜いてある。先に訳した中臣寿詞の「天都詔刀の太詔刀言を以ちて宣《ノ》れ。かく宣らば、兆《マチ》は、弱蒜《ワカヒル》に五百箇《ユツ》篁《タカムラ》生ひ出でむ……」、古代も、その条で天つのりと[#「天つのりと」に傍点]を唱へたと信じてゐた為に、此寿詞を唱へる度毎に、やはりこゝになると、天つのりと[#「天つのりと」に傍点]なる呪詞を唱へたのである。此などは、後世の理会からすると、天つのりと[#「天つのりと」に傍線]を挿んで唱へない方が、却て適切らしく思はれる位である。「かく宣らば」と言ふ語は、其天つのりと[#「天つのりと」に傍線]を唱へ終へてから「天つのりとも、左様に唱へた上は」といふ形で、又祝詞の本文に戻るのである。
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