記録である、近衛天皇即位の康治元年当時の形である。尠くとも、康治に改作せられた部分も、考へることが出来る。
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「……堅磐常磐《カキハトキハ》に斎《イハ》ひまつりて、いかし御世に栄えしめまつり、康治元年[#「康治元年」に二重傍線]より始めて、天地日月と共に、照し明《アカ》らしましまさむことに、本末《モトスヱ》傾かず、いかしほこの中《ナカ》執《ト》り持ちて、仕へ奉る中臣|祭主《イハヒヌシ》正四位上神祇大副大中臣清親[#「正四位上神祇大副大中臣清親」に二重傍線]寿《ヨ》詞をたゝへ、こと定めまつらくと申す。」
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傍線の部分は、大嘗祭毎に、年号・祭主の氏名を入れ替へて唱へたに違ひないのである。
出雲の方にしても、
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「八十日々《ヤソカビ》はあれども、今日の生日《イクヒ》の足日《タルヒ》に、出雲[#(ノ)]国[#(ノ)]国造《クニノミヤツコ》姓名[#「姓名」に二重傍線]恐み恐みも申したまはく……手長《タナガ》の大御世を斎《イハ》ふとして……」
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「姓名」とある部分は、其時の国造の姓名出雲臣ヽヽといふ名詞が入
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