ばぬ所とのある理由である。何よりも第一に、古代の詞章が近代の人の解釈に堪へることについての素朴な疑念が物を言ふ。現存の形の固定するまでに幾度も/\改竄せられて来たものであると言ふ外に、此問題は解くことは出来ない。最古い物は、殆永遠とも言ふべき永い時間に徐々に変化して、或は原形を残して居ぬ程になつたことであらう。今日あるものゝ古いものも、さうした改作の上に現れた、古典色彩の濃厚なものと見るべきであらう。さうしてわりあひに意義の概観に不便な化石層とも謂ふべき古詞章の固定したものを残すことの少い理由は、一往全体に変化が行き渉つたといふことの外に、全体に行き亘つての整理が、行はれたことが考へられるのである。神の許《ユル》しが、必ある方法によつて、予期出来たのであらう。さうでなくば、たとへば、右の両寿詞にしても、あの程度の快い詞章感を保つことは出来なかつたであらう。
右の古詞章の中、出雲国造の分は、延喜式に記録せられてゐるから、その完全な固定は少くとも、平安朝の初期位まで溯つて見るのを適当だと考へる。が、中臣の方は、平安朝末に記録せられた形であつた。藤原頼長の台記別記に、記入せられた大中臣清親の
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