寿詞と恋歌との関係
ある種の考へ方をする人には、思ひがけないことかも知れぬ。古代日本の文学以前の詞章に、悲恋悲歌とも言ふべきものゝ多かつたことである。其と、も一つ意外なことには、配偶《ツマ》争ひの「物語」や、「物語歌」が、相当に伝へられて居た。配偶《ツマ》争ひと言ふ語は、少し不正確である。二人でその同性が、一人の異性を獲ようとして争ふと言つたことの外に、夫《ツマ》と婦《ツマ》とが争闘することも、「つまあらそひ」と言ふ語に這入る。だがさう言ふ繁雑《ヤヽコ》しい用語は避けた方がよい。前者を常識に任せて、「つまあらそひ」と呼んでおき、後者の中を、その姿によつて、別々の名をつけておく。配偶《ツマ》どうしの間に相闘ふ物語を、つまどひ[#「つまどひ」に傍点](求婚)、ねたみづま[#「ねたみづま」に傍点](妬婦)、つまさり[#「つまさり」に傍点](離婚)の物語と言ふやうに、大体三通りに画《クギ》り、配偶《ツマ》どうし安らかに相住むことが出来ないで、別れて暮すことを伝へるものを、つまわかれ[#「つまわかれ」に傍点](配偶別離)の物語と言ふ名にしておけば、凡は、共通した処、差別のある処も明らかになるであらう。
妬婦伝と相愛別離譚とは、全然別殊のものだと思ふ人がないとも限らぬ。が少くとも、古代日本のつま物語りには、如何にしても放つことが出来ないほどの絡みあひ[#「絡みあひ」に傍点]があるのだ。
其分類のよつて来る所を言ひながら「つま[#「つま」に傍点]物語」の原因も説いて行けると思ふ。
つまわかれ[#「つまわかれ」に傍点]の物語のあはれは、日本人が記録書を持つた時代には、既に知り尽し、聞き旧《フル》して居た。記紀万葉其いづれを見ても、我々の想像もつかぬ程古き世の祖先を哭かしめ、愁ひさせた長物語が、少からず載せられてゐるのである。その最古代の人ごゝろを泣き覆らしめたものは、「天田振《アマタブリ》」と言はれた歌群と、其から其等と起原が一つだとして伝へられてゐる歌々である。
人の家の子としてはこの上なく貴い兄みこと妹みことが、つまどひの末、兄は宮を追ひ逐《ヤラ》はれる。古事記は、如何にもさうした物語が記録以前に、語《カタ》りを職とする者によつて、世に広く、時久しく諷誦せられたことを思はせるやうな、美しい歌詞の多くと、其を擁《イダ》く叙事体の詞章の俤を止めてゐる。日本紀にも、簡単ながら人を哀しませる部分だけは書きとめて居る。唯違ふのは、伊予の国に流されたのを、女王だとする伝へを書いた点である。ところで、此貴い女性が恋慕に堪へず、兄みこの後を慕うて遠い旅に出た時の歌の中の一首といふのが、万葉集の巻二の巻頭の相聞歌――かけあひの歌――の中にも、記載せられた。たゞ万葉には、他の三首(或は四首)の歌と共に、作者を其女みこの祖母なる、難波高津宮の皇后磐姫と伝へる点が変つてゐるのである。歴史に伝へる行跡を近代の感情で理解して行くと、女みこは極めてやさしく、心は其かんばせ[#「かんばせ」に傍点]に匂ふが如く、美しい女性《ニヨシヤウ》であつた。その祖母君なる万葉集の作者は、日本妬婦伝のはじめに居るほど、人をやき、おのれを燃すすさまじい情熱を伝へられたねたみづま[#「ねたみづま」に傍点]であつた。而も、その詠歌と伝へるものを見れば、かくの如く優に、然《シカ》、人をして愁ひしむる、幽かなる思ひを持つたお人と、昔びとは伝へて来たのであつた。史学者や、文学研究者は、古事記万葉の伝へのいづれかゞ誤つてゐる証拠を、この歌から獲ようとするだらう。だが其より大切なのは、嫉みづまと、情濃《ナサケコ》きあくがれ人との間に、共通するものを考へた、古人の心である。其に導かれる、今一つのこと、即ねたみづま[#「ねたみづま」に傍線]とつまわかれ[#「つまわかれ」に傍線]の物語とには、どうしても離れぬ程、根柢に疏通して居るものがあつたのである。一つの形式の伝へが同時に、他の形式の要素を具へて居らねばならぬ。さう言つた必須なる項が、此二つの間に横つてゐるのであらう。
近代風の物思ひより外にすることの出来ぬ我々は、どうかすれば、磐姫皇后の嫉みの中に、すさのをの[#「すさのをの」に傍線]尊の破壊の意思さへ感じることがある。此|人間期《ニンゲンキ》の大きな女性を、神の世界に考へあはせると、明らかに同じ様式として、大国主命の妻すせりひめ[#「すせりひめ」に傍線]を見るだらう。すせる[#「すせる」に傍点]といふ語は、我々の持つくすべる[#「くすべる」に傍点]・くすぼる[#「くすぼる」に傍点]に当る古代語であり、中世のふすぶ[#「ふすぶ」に傍点]と言ふ語の持つ、二つの意義を、そのまゝ兼ね備へてゐる。いぶし[#「いぶし」に傍線]・くすべる[#「くすべる」に傍線]と共に、ねたみ[#「ねたみ」に傍線]・やく[#
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