日本文学の発生
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)遺《オト》すまい

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)保護|凡《およそ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「木+僚のつくり」、395−1]

 [#…]:返り点
 (例)加[#二]後字[#一]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)出雲[#(ノ)]国造家

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\の
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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何度目かの日本文学の発生を書くことになつた。此には、別に序説のやうなものがあつて、此文章と殆ど同時に発表することになつてゐるから、具体的なことを、落ちついて書き進めても、さし支へはないのだと言ふ、安堵のやうなものがあつて、之を書くことが、今のうちは、愉しい気がする。どうぞ、この心持ちが、いつまでも続いてくれるやうにと考へながら、書き出しを作る。
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      詞章伝承の情熱の起り

伝承する習俗と、把持する意力とが先祖の心になかつたら、吾々の文学は、どうなつて居たか知れない。恐らく、文学の現れずにしまつた訣もなからうが、ちよつと想像出来ぬ姿と、内容とを持つた、もつと脆弱なものが出て来たことであつたらうと思ふ。吾々の先祖は、何も神に報謝する為に、神の詞を伝へようとしたのではない。神の威力の永続を希うて、其呪力ある詞章を伝へ遺《オト》すまい、と努力して来たのであつた。
この詞章を伝承する事業は、容易なことゝは、昔の人程考へては居なかつた。こゝに、日本の古代宗教の形態の拠り処があつたらしく思はれる。神が神としての霊威を発揮するには、神の形骸に、威霊を操置する授霊者が居るものと考へた。神々の系譜の上に、高皇産霊尊・神皇産霊尊――天御中主神の意義だけは、私にはまだ訣らぬ――を据ゑて居るのは、此為であつた。此神の信仰が延長せられて、生産の神の様に思はれて来たが、むすび[#「むすび」に傍線]と言ふ語の用語例以外に、此神の職掌はなかつたはずである。
形骸に霊魂を結合させると、形骸は肉体として活力を持つやうになり、霊魂はその中で、育つのである。さうして其霊魂は、肉体を発育させる――さう言ふ風な信仰が、更に鎮魂《タマフリ》の技術を発達させることになつたのである。だから、産霊《ムスビ》は信仰で、鎮魂は呪術といふことになる。
高皇産霊・神皇産霊二神の中、多くの場合、高皇産霊尊を代表と見なしたことであつた。又当然、二尊の間に、職掌の分担を考へてゐたことも思はれる。ともかくも、産霊ノ神の職掌の重大な部分として挙げてよいものが、一つある。
尊い神が、神の詞を宣《ノ》る時に、其を自ら発言することの出来る資格を授ける為に、此神の出現したと考へたのが、古代の考へ方である。天照大神に添うて、此神の出現する時は、重要な神事が行はれる訣である。
天照大神の神格については、いろ/\の考へもあるが、此神に、人間的な要素を深く考へてゐたことは忘れてはならぬ。最大の神言を発せられる場合に、きまつて居ると言へる。其人格をして、十分に神の能力を伸べさせるには、どうしても威霊を、その身に結合させる外はない。この大神をして、完全円満にして、永遠に効験ある神言を発せさせ申す為には、さうした大威力ある霊魂を、神の体中に置かねばならないとしたのである。其威霊は別に存在するものとして、その霊魂を処置するものなる、高皇産霊尊は、どうしても考へねばならなかつた訣である。かうして、最高の威力を具へられた天照大神の発せられた神言は、瓊々杵尊之を、下界に伝達せられたもの、と信じて来た。此地上に於いて、聖なる御子の神言を発せられる際は、其が伝達の意味であることは勿論だが、やはり、さうした呪術者が、身辺に居て、威霊を結合させる。さうすると、天上の神に現れた様に、威力ある詞が聖なる御子によつて発せられるやうになる、と考へたのである。此呪術を行ふ者が、天児屋命或は太玉命と謂はれる神々である。つまりは、週期的に神言を発する時が、廻つて来るのが常であつたからである。一度限りなら、さうして呪術者が、天上から随伴する必要はなかつたのであつた。
神語を発する能力ある神となることを考へたのが、次には、神語を発する能力自らが来り寓るものと思ふ時が来た。神語を発する神でなく、神語の威霊を考へたのである。此信仰が展開して、言霊《コトダマ》信仰が現れて来ることになる。
天照大神に高皇産霊尊が随うた如く、亦瓊々杵尊に天児屋命が随うた如く、尊い神事を行ふ者には、威霊を操置する呪術者が随
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