吾が長寿《トコヨ》たち――日本紀顕宗即位前紀
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此寿詞は上中下三段に分れてゐるものと見られる。家長を祝福した前段と、吾子たちと呼びかけた饗宴に列座してゐる人々に対して言ふ詞章と、とこよ[#「とこよ」に傍点]たちと言ひかけた客人《マレビト》に申す詞との三段である。
新嘗を行ふ為には、原則としては、新嘗屋を作るのであるが、後世は多く旧屋を以て新室の如く見なし、寿詞《ヨゴト》が其を、新しく変化せしめる効果あるものとした。だが此伝へでは、新嘗屋を築いたことになつてゐる。
新室《ニヒムロ》の古びない力を讃めて、稚室《ワカムロ》といひ、其各部を縛り、殊に屋上から結び垂して、地上に届くまでに結びさげた蔓を以てした綱の長きを仰ぎ乍ら、讃め詞ははじまるのである。第一、柱ぼめ。家あるじの気分のどつしり落ちつく様に圧へてあることが思はれるといふのである。第二、棟ぼめ。屋根裏に放射した棟梁類のはなやかさは、家あるじの気分の饒しくなるを表示すると言ふのだ。第三、椽の類の均整して並んでゐるのを見れば、かくの如く家あるじの気分は乱れることはないと祝福するのである。葺草《カヤ》下地の凹凸なく葺かれてゐるのを見ると、気分の変化動揺なく続くことが察せられるとするのである。堅くひき結《ユハ》へた綱の結び目を、命の脱出を防ぐ結び目と見て祝《ホ》ぐのである。切り揃へずに、軒に葺きあました葺草の程度以上なる如く、此家あるじの富みも、際限はなからうと、讃美してゐる。
第二段は、かくの如く出来あがつた新室の作業に、共に働いた同族の人たちに呼びかけて、吾子たちと言つて、酒を勧めるのである。此酒は、新墾りの出雲の豊年の今年の稲を以て、浅甕に醸した酒だ。十分に飲んでくれる様にというてゐる。新室の祝ひには、共通の発想法で、労働を共にした様を思ひ返し乍ら、うたげ遊ぶのである。
後段は、客座に向つて唱へる詞で、恐らく謡《ウタ》に近いものであらう。舞人は、饗宴に必伴ふものである。主人の娘或は、家人が勤める役である。家屋の精霊の出て、賓客を讃美すると言ふ信仰から出たものであつた。鹿が農村の為に降伏して作物の妨げをせぬ事を誓ふ状を模する舞踊が、古く行はれてゐた。其が新室宴にも採用せられてゐるのであらう。角さゝげてと言ふのは、「あしびきの」以下が、序歌になつて来てゐる。手を投げて舞ふことを、ささげてと言ふ語で表したのらしい。かう言ふ風に、出来るだけの奉仕をするからは、客人たちも、「存分に無条件に、志をおうけ下されて」の意味を、「直《アタヒ》以て易《カ》はず」で示したのだ。代物で交易すると言ふ意識なくといふことである。餌我の市は、南河内石川のほとりの恵我の市である。「うまさけ」は枕詞、前段の酒の聯想から来たまでである。こゝでは酒の事は言はないで、たゞ恵我市で交易する様な気にはならず、「十分気をゆるして、無条件でお受け下さい」といふのである。「たなそこやらゝに云々」は、饗宴の楽しみを享受する様。志を賓客の納受した表出を見たいと望むのである。とこよたち[#「とこよたち」に傍点]は、長寿者たちの義で、第一義の常世《トコヨ》の国は、富と、命と、恋の浄土とせられた古代の理想国である。其処に住んで、時あつて、この土へ来る人あるを想像して、とこよ[#「とこよ」に傍点]と言つたのである。古来饗宴の賓客を、神聖なものとして、常世の国からの来訪者と考へて来たのが、わが国の民俗である。
此寿詞について、尚一つ言はねばならぬことが残つた。其は、文中に在る二つの地名である。出雲は、恐らく本国出雲ではあるまい。出雲人の移動して住みついた地をさすものと思はれる。此処の恵我市と相叶ふ出雲は、恵賀に近い土師郷附近である。此は出雲宿禰から分れた土師宿禰の根拠地である。此外にも、姓氏録には、河内の出雲宿禰姓が記録せられてゐる。土師・恵我は同郡、隣郡古市郡には、又恵我古市がある。何にしても此は、新室の寿詞の、河内に行はれてゐたものゝ形である。さうして、出雲恵我を言うた理由は、恐らく偶然ではなからう。出雲人の中、建築に交渉の多い者のあつたことは、すさのを[#「すさのを」に傍線]の命の出雲八重垣の歌、大国主のたぎしの小浜の火|燧《キ》りの呪詞、播磨風土記の出雲墓屋《イヅモハカヤ》の条、引いては出雲人で河内に移住し、土師氏の祖先となつた野見宿禰の陵墓に関する伝承等が示してゐる。墓屋や陵墓の築造は、昔は、建築事業になつてゐた。出雲建築が、古代文化の上に著れて居た時代があるのである。出雲人の建築法と、新室営造との関係はわかつても、之が両天子に持つた交渉は、知ることが出来ぬ。たゞ今の間は、河内人の間に行はれてゐた新室の寿詞が、何かの機会に、久米若子の伝承にとり入れられたものと見ておく外はないと思ふ。

   
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