村の男が神であり、村の娘の巫女である儀礼上の資格も、後代は忘れられて、尚その風俗は続いてゐる。単なる祭りの式として、村の男女の呪詞贈答が行はれた。古くは恐らく、呪詞の応酬だつたのだらうが、歌が真言となる世に到つて、次第に歌の中にも、短歌の形が選ばれたのだ。尚古くは、片哥・旋頭歌を以てした時代が考へられる。地方的にも、其形式に、色々あつたであらうが、最新しい形式の――此については、別に述べる機会があるだらう――短歌が、有勢になつて来た。その為、世間に短歌が、歌の標準様式と謂つた姿を示して行つたものと言へよう。歌垣の事ばかりでなく、既にすべてを言ふべき余裕を失うた。私はこゝに、一口にかたづけねばすまなくなつたことを、許していたゞく。
叙事詩の中の抒情詩は、其が掛合ひの形に置かれても、尚独語の気分以上に出なかつた。即《すなはち》抒情的叙事詩なのだ。其が一転して、たとひやはり、叙事的情調を亡くせないまでも、抒情的になつた叙事的抒情詩として、対話的問答式の意義が深められて行つた。
其が片哥問答から、二つに岐れて、旋頭歌《セドウカ》式と短歌式とになつて行つたものと見られる。さうして、最後は、短
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