行事が、ある方々の歴史と特殊化して考へられたのだ。別の語を以てすれば、家筋・村筋・職筋においては、其開初の人の一代記から語りはじめる事を、条件としてゐる。さうすれば、出生譚に重きを置くのは、理由のある事である。其から、時代の進むにつれて、次第に一代の中の重要事項を併せ陳べることになつたと思はれる。が、ほんたうの史実をとり扱ふ様になるのは、極めて後の事と考へるのが正しい。
譬へば、建部《タケルベ》の伝承には、却て成人後の伝に重きをおいて、生ひ立ちについては、父帝の、碓《ウス》にたけび[#「たけび」に傍線]せられた事を言ふのみである。此などは、聖子誕生に関する別殊の形式の存在を思はせるものでなくば、恐らく後の大事件を主として、生ひ立ちの語りを忘却したものと見てよいのだ。唯時として、稀に誕生の部分の細叙せられた方々の物語が、残ることがある。その為、小数の尊貴の上の事実だと見られるのは、実はすべてに亘つてあつた事、語られた事が、特別に、ある部曲に限つて残つた為の様に思はれる。
かの反正天皇の産湯に関する伝への類型は、既に一部分固定化を経たものであつた。大国主の子あぢすきたかひこねの[#「あぢす
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