が、後に藤原氏を分出した中臣一族だけを考へる様になつたらしい。中臣の為事が、昔からそれほど高い地位を占めてゐたか、斎部とは比較にならぬ程重いものだつたかと云ふに、必しもさうは言へないのである。尤、後世の斎部氏の反撥的な主張は、古語拾遺其自身で見ても、歴史に対して無理会な、意味のない運動であつたが、古く溯れば、中臣氏の職分とさう判然たる区別があつたとも思はれない。
神と主上との間に、中介者のあつたことは述べて来た。と同時に、主上が神と人間との間に立つて、中語の御役目をなされた事も考へられる。其は、みこともち[#「みこともち」に傍線]と云ふ語によつて知れる。一体みこともち[#「みこともち」に傍線]は、古い文献には、既に地方官の高等な者、京官の下級の者などを示すことになつて、宰・大夫の字面を用ゐてゐるのが普通だ。が、其はみこともち[#「みこともち」に傍線]の用語例が、低い方に固定した為で、元は上から下まで次第々々に中語の役目を勤めることが、官吏の職であつた為、総べてをみこともち[#「みこともち」に傍線]と称した。其一番適切な証拠を示すものは、日本紀だ。尊・命と二様に書き分けてゐるが、みこと[
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