尠くとも、今よりはもつと簡単な形で、行はれてゐたもの、と思ふ外はなかつたのである。尤、この時は、村をどり以外に、相撲その他の興行もあつたが、此等臨時の添へ物をとり除けても、尚、今の村をどりは、をどり上手を、個人的に使ひ過ぎてゐるのではないか、と思うたのである。
私の村をどりについての知識は、わづか一回のこの経験が、比嘉春潮さん・島袋源七さんなどの、生きた愛に充ちた説明によつて、生かされて来てゐるのである。あの日は幸福であつた。東島尻の広々とした田の面を、鉦・太鼓で囃し乍ら、一行が練り込んで来るはじめから、なごりを惜しませつゝ、還つて行く行列まで、見てゐたのであつた。
この行事は、実は七月のわらびみち[#「わらびみち」に傍線](童満?)のおがん[#「おがん」に傍線](拝み>お願)に行ふ事であつた。この斎日の本義は、村の若者を作る成年戒の日に、兼ねて二度目の農作を、祝福するものであつたらしいのである。先島諸島の例を見ると、成年授戒の日と農村祝福とは、おなじ日の同じ行事の中に含まれてゐる。八重山離島をはじめとして、其風俗を移した石垣島の二三个村の「あかまた・くろまた(又、あをまた)」の所作を
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